長続きのコツは【下限】にあるんじゃないか

 

こんにちは。ワーキングマザー・サバイバルのみゆきです。

 

自分では特に何もしてないのに、毎日なぜかやることが山積みです。

 

ひとつひとつは大したことではないんですが、

やるべきことが常に目の前にポロポロと際限なく積みあがっていく毎日です。

 

「お腹空いた~ご飯食べたい~」と子供に言われて急いでご飯を作っていると

子供が勝手に走り回ってぶつかって泣き出して「抱っこ~」と来て

「喉が渇いた」と言うのでお茶を渡すとこぼすので拭きに行き

そのそばから「お腹空いた」と言い

お茶で濡れてしまった服を脱がせて洗濯機に入れ

やっとご飯を食べさせたら下の子が「ウンチー」と言うのでトイレに連れて行き

戻ってくるとご飯を食べ終わった子が「オヤツ~」と言うのでおやつを与え

洗濯機を回し、食器を洗い、

次の日の保育園の準備をしていると

子供がケンカを始めるので最低限の仲裁に入り

夫が「あれ~?あの皿どこ~?」と聞くので教えていると

子供が「あのテレビが見たい~」と言うのでリモコンを操作して

 

・・・というのがエンドレスに続きます。

 

勿論子供は日々育つので、数年後にはまた状況は変わっていると思うんですが、

家事+子育てって、ホント【常時が些事の山積み】という感じです。

それをこなしながらも、いかに心穏やかに生きて行くか、を考えると

家事と子育ては、『いかに下限を探るか』がポイントではないかと、

そう思うんです。

 

以前の話なんですが、

洗濯物をたたむ際、自分の感覚では服を裏表のままたたむ、という習慣がなく

裏返しになっている服をたたむ際に表に返すのが面倒で

夫に洗濯機に入れるときに表にして入れて欲しい、とお願いしました。

 

すると彼の返答は、『裏のままたたんでくれても構わない』

これは習慣の問題なので人それぞれなのですが、

私にとってはそこで、目からウロコが落ちたんです。

『その手があったか!』

以来夫の服は、裏の物は裏のまま、表のものは表のままたたみ、

靴下は左右揃えずバラバラで『靴下』としてまとめるのみで、

【夫の洗濯後衣類カゴ】へガサッと置くのみ。

 

平日の夫のご飯は作らず、勝手にあるものを食べたり、買ってきて食べたりしています。

子供のご飯も、まとめて作って冷凍して、レンチンで済ませられる方法を模索します。

 

廊下の隅に【妖精】(=ホコリ的な?※知人の秀逸な表現を拝借します)を見つけても

可能な限り見てみぬ振りをします。

湯船には滅多に入らないので、湯船エリアは入るときの直前だけ掃除をします。

子供もできるだけ放置して「自分でなんとかしなさい~」と言い

助けを求められたら善処します。

 

下の子のときは、赤ちゃん用の洗剤なんて使いませんでしたが問題ありませんでした。(たまたま肌が丈夫な質だったようです。)

あらゆる業務の【下限を探る】ことでいかに楽をするか、

そこに引け目を感じないことが、長続きのコツなんではないか、と

私は思ったわけです。

photo by ル・・ッ リァル・ェル・館・言

 

問題やクレームがあったら、

その時点で対処すれば間に合うことばかりなんじゃないか、と。

 

勿論、それでは間に合わないことも世の中にはあるわけで

それがその人それぞれの基準だと思うんですが、

その【下限を探る】という【ふてぶてしい神経】がないと、

正直やってられないんですよねぇ・・・

 

もしかしたらこれが、【母は強し】の根源かもしれませんね。。

 

私の基準では、

子供の体が成長しているうちはインスタント食品は極力あげません。

 

下の子が赤ちゃんのときにスリッパをベロベロ舐め始めたときは

「ま、いっか・・・」と思いました。

 

ベビーカーのタイヤを舐め始めたときは止めました。

仕事から帰った夫が「なんか食べるもんないの?」と言うと「ない」と言います。

子供との約束は大小かかわらず、一度約束したら絶対守ります。

 

玩具やら【妖精】やらでグチャグチャの部屋で、片付けるエネルギーが湧くまで

子供とゴロゴロします。

 

どこまでハードルを下げられるのか、

自分の心と家族が平穏でいられるその【下限】をどこまで下げられるか

それができないと、いつか自分は爆発してしまうと思ったんです。

 

睡眠時間を削って夜中に、昆布とかつお節で出汁をとって

子供のご飯を作ったこともありました。

 

仕事から帰ってから寝るまで、

一度も腰を下ろさずに夫のご飯を作ったこともありました。

でも、家事や子育てはどこまでやっても【上限】がありませんでした。

どれだけやっても、もっとできることがありました。

 

そして私はそこに、

『妻とは、母親とはこうあるべき』という

自分の中に植えつけられたイメージを見たんです。

 

特に母親は、自分を犠牲にして、苦労を耐え忍んでナンボのもん、

それこそが愛情の証、

のような確かなイメージがありました。

 

でもいまの私は、歯を食いしばって苦労に耐える母親よりも、

大口開けて笑っている母親を、子供たちに見せたいと思います。

そして私の人生は、子供のものではなく私のものです。

その結論が、【自分と家族の下限を探る】ことだったんです。

文明の利器を最大限に活用するのもひとつ。

 

そして、

『家族とは、母とは、妻とは、女とはこういうもの』という曖昧なイメージや慣習をなぞるのではなく、

自分がどうあれば、自分や家族が幸せか、

ひとつひとつのピースを組み合わせてみる作業、

って感じでしょうか?

 

 

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