のどかに見えて、ダンゴムシ大量殺戮現場です。
母は、「かわいそうに~…」しか言葉が出てきませんでした。
子供って、まずは残酷ですよね。そうやって覚えていくこともあるんでしょうが。
昔、高校生のころ、アルバイトをしていました。
部活を引退して、卒業までの期間、ファミレスのキッチンで。
初めてのバイトではなかったけど、やっぱり若いとき、
新しい環境に慣れるまでってそれなりに大変でした。
そうすると、必ず毎回優しく話しかけてくれるのは、オバチャンでした。
家に帰って姉と話したのを覚えています。
私「オバチャンて、優しいよね」
姉「そうだよ、オバチャンは優しいよ!」
そしていま、”オバチャン”がなぜ優しいのかが、わかります。
この時私が無意識に”オバチャン”と呼んでいたのは、子供のいる、女性でした。
いまの自分を”オバチャン”と呼ぶかどうかは置いといて、
もう毎日毎日、日に何度も何度も、
『これでもか、これでもか』と優しさを試される場面が訪れます。
仕事で超疲れてるところにコップいっぱいの牛乳をこぼされてピシャピシャと遊ばれたり、
「疲れた、抱っこ~」と足にしがみつかれて「疲れてるのはママ!」と言ったり、
「ふぅ~…」と帰宅して2時間後に初めて座ったと思ったら膝に座っていた子供に頭突きされたり、
欲しいと言うから買った絵本を破られたり。
こんなこと毎日されていたら、そりゃ優しくなるわな、と
風呂上がりに子供たちの体を拭いていて思いました。
そして”優しいオバチャン”になりつつある私は、
寝違えて首が痛いと言う夫のために、
週末2日とも彼を家で休ませるために、ママ友を誘って子供二人連れて児童館へ行ったり、
姉に頼んで一緒に外で遊んでもらったり、ということを自発的にしました。
『優しくなりたい』と単純に思ったから。
そしていつものように、週末だろうが7時半には息子らに叩き起こされベッドから体を引きはがします。
夫は、朝は子供らと同じくらいに起きる、とずいぶん前に約束していました。
それをしてもらうだけで、私の【不公平感】がかなり和らぐからです。
いや、声を大にして言いたいんですが、そもそもそれを『してもらう』という時点で、
本来とてもおかしいことなのですが、事実上いまはしてもらっています、ハイ。
しかしその日は、8時半になっても起きてこず、息子に起こしに行かせると、
「パパはベッドでストレッチしてから起きるから」
という声が聞こえます。
「なるほどね、首痛いからね」と思い、しばらくして寝室を覗くと、
まぁ、案の定ですがね、寝てますよねフツーに。
「なにがストレッチだよ、フツーに寝てんじゃねえかよ」
と口汚い心の声がね、もう口からほとばしって出てしまいましたね。
しばらくして起きてきた夫がね、なんと言ったと思います?
「体調悪いときは、もっと優しくしてもらいたいな」
アタシャ、膝から砕け落ちましたよ。
そーですか、もっと優しくしなきゃダメですか…
首が痛いと言うのでここ1週間以上ひとりで毎日息子らを風呂に入れ、
とはいえ痛いのは首ですから、テレビは好きなだけ見て、好きな時間に寝て、
週末も子供ら連れだして家でひとりきりにさせて、
平日は好きな時間に帰ってきて、ひとりでゆっくりご飯を食べて、
もっと優しくしてほしいそうです…
私は暑い日曜日、4歳と2歳連れて、ひとりでバス停を探しウロウロ歩き回り、
抱っこ!おんぶ!と駄々をこねる息子をカルピスでなだめている間に、
2歳児に「ウンチした」と言われ、「いま?」と真顔で聞き、
汗でベタベタの男児たちを抱えてしばし脳がフリーズしていました。
あああああああああああ…
何も聞こえない、何も聞こえない…
あああああああああああ…
バイト先のオバチャンたちの、初対面の女子高生に対するあの底なしの優しさは、
こんな、こんな思いの上にあったんだな。
そして優しいオジチャンには、私は会ったことありません。
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最後までお読みいただきありがとうございます。
ひとりでできることには限りがある。