うすうす気づいてはいたのですが、
なんとなく公言するのも憚られていました。
でももう、肩の荷が降りたので、いいかな。
私ね、公園で子供と遊ぶの、結構苦痛です。テヘ
子供と公園に行くのは苦痛ではありません。
子供が遊んでいる傍で写真を撮ったり、
遊んでいる子供を眺めてボーッとするのは好きです。
でもね、一緒に砂場で何かを作ったり(だってつまんないし)、
一緒に滑り台を滑ったり(つまんないし)、
一緒にサッカーしたり(蹴る意味がよくわからない)するのは、好きじゃありません。
一緒にシャボン玉をしたり、
グローブ着けてキャッチボールしたり(まだできないけど)、
おしゃべりしたりするのは好きです。
なのでどうしているかと言うと、最近はできるだけ、
お友達を誘って公園に行ったり、お友達出没率の高い公園に行ったり、
行ったことのない公園に行ったり。
(行ったことのない公園だと勝手に遊んでくれる)
やっと、↓の長い上下巻の本を読み終えました。
なかなかの文章量でした。
この本に関してはいくつか記事を書いていますが、
私の心にスッと刺さった部分を今日はご紹介してみようかと。
親として子供を育てることは、セックスがそうであるように、苦労を感じないものであるはずだ。(中略) 自然の摂理は、私たちが課せられたことを実行できるよう、それを楽しみとしてくれた。(中略) 親は親として子供を育てることを楽しむべきだ。もし楽しくないというのなら、それは努力のしすぎかもしれない。
子育ての大誤解(下巻)
セックスを楽しいと感じない人がいたり、楽しいと感じない時があるように、
子育ても人それぞれ、タイミング次第です。
そして当然、子供という無力な生き物にとって粗悪な環境しか用意しないことは、
いかなる事情であれすべきではないことです。
しかし、私が楽しくないことを、無理にしなくてもいいのかもしれない、
と心に留めることが出来ました。
床暖房のきいた暖かいリビングに寝転がって、
子供とキャッキャするのは楽しいです。
私がいちから作ったご飯を、
子供が「美味しい、美味しい」と食べてくれるのを見ると、
充足感を覚えます。
泣く子供を抱きしめると、私も安心します。
私にとって『楽しくない』範囲は…
そうだなぁ…
睡眠時間を削って、昆布から出汁を取って子供のご飯を手作りすること?
『子供のために』、より良い学校へ長時間移動して送り迎えすること?
仕事という自己実現の道を、『子供のために』諦めること?
子供にテレビを見せず、親が子供をエンターテインし続けること?
もちろん、何度も言いますが、
保護を必要とする彼らのために、必要な犠牲は払います。
しかしその【必要な】範囲が、当初思っていたものよりも、
もう少し緩くてもいいのかな~、と思わせてくれた本です。
↑の本で主に言っていることは、
親が思うほど、子供にとって親の影響は大きいものではない、ということ。
まして、子供が大人になってまで永続的に続くような親の影響は、
ほとんどない、
もしくは、
親の影響が永続的に残るという証拠は、
これまでどこにも見つかっていない、ということ。
ひとりっ子と、兄弟のいる子の、
大人になっても残る性格的特徴の違い、
長子とそれ以降の子の違い、
それらを探す研究が、もう何十年も世界中で行われていて、
結局どこにも有効な研究結果は無いと、
膨大な証拠をもとに著者は訴えています。
別々の家庭で育てられた一卵性双生児と、
同じ家庭で育てられた二卵性双生児。
大人になってからどちらが似た性格的特徴を持っているかと言うと、
別々の家庭で育てられた一卵性双生児です。
簡単に言うと、家庭環境より、遺伝子のほうが影響力が強いということです。
同じ遺伝子を持つ一卵性双生児は、
生まれてすぐに違う家庭に引き取られて育って成人しても、
子供に同じ名前を付けていたり、
同じ色の同じ種の車に乗っていたり、
同じ職業に就いていたり、
同じ服を着て再会したりします。
もちろん私たちの性格を左右するのは遺伝だけではありません。
そしてそれが『家庭環境/育てられ方』であると、
みんながなんとなく思い、言ってきました。
そこが【大誤解】のひとつであると。
子供、私たちの性格を左右する影響は、
『子供同士の友達、仲間関係』の中にある、という証拠が
たくさんあると。
なので私は、子供の学校選び、引っ越し先の環境選びは
真剣に、慎重に進めようと思いますが、
家庭でご褒美をあげてお手伝いさせるかとか、
励ましてやらせるのか、勇気づけてやらせるのか、
叱ってやらせるのか、親の言うことに統一感があるとか、
そういう細かいことはもう、気にするのをやめました。
私の言うことに統一感がなくて、子供の将来の収入が300万下がるとか、
子供が将来破滅的な行動に走るとか、
そんな相関関係は無いということなので、
そのときそのときで、出来る限り、でもいい加減に対処しようと思っております。
とはいえね、もともと才能もあってピアノが好きな子でも、
親が熱心でないとプロのピアニストにはなれない可能性が高くなるし、
お医者さんの家にお医者さんが多いのは、
遺伝の影響だけでなく家庭の中での意識も関係しているわけで、
なんでもかんでもいい加減にしようと思っているわけではなくて。
結局は、彼らそれぞれの特性を出来る限り伸ばせるように
努力はするつもりで、『出来る限り』の限度を調節することは
もちろん吝かではないのです。
そして子育ての頑張りどころと、頑張ってもあまり意味ないのでは?というところ、
その見極めを【冷静に】すれば、
ヒト科の子育てはもうちょっと大変じゃないものに
なるのではなかろうか、
そう思った次第です。
長くなりました。ご興味ある方は、ぜひ読んでみてください。
でもね、言っておくけど読みにくい文章です。。
あ、うっかり言っちゃった…
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最後までお読みいただきありがとうございます。
ひとりでできることには限りがある。