こんにちは。ワーキングマザー・サバイバルのみゆきです。
朝の送りは夫、
夕方のお迎えは私、という分担です。
しかし『ママっ子』の長男はよく、
「ママと行きたい!」
と言います。
それに対する夫の反応がタマラナイ、という話です。
「ママに言ってよ~」
「ママと行きたい」という長男に、夫はよくこう言っていました。
そして今朝は、こうも言っていました。
「ママと行きたい!」
「良いこと言うね~」
こういうことを夫が言うたびになんだかモヤモヤしていて、
そのモヤモヤの正体がやっとわかったんです。
それはやっぱり、
彼の【やらされている感】。
毎朝の保育園への送りに関して特に、
私に【やらされている感】があるようです。
子供を保育園へ毎日連れて行くこと、
子供を毎日世話すること、
それ自体が、私が彼にやらせていること、になっているような気がします。
本来、子供の世話は私が夫にやらせているわけではなく、
私たちふたりがやらなければならないことを分担しているのだと、
私は思っていましたし、いまもそう思っています。
しかし彼にとっては、
毎朝の子供たちの着替えも、
毎朝の子供たちの保育園への送りも、
私がやらせていること、という意識のようです。
いやいや、それってやっぱ、違うでしょ?
書いていても悲しくなります。
【やらされている】から、
なんとかサボろうとするわけで。
そんな風に思っている人に、
子供の世話なんてしていただかなくて結構です!
と思ってしまうわけです。
最近、【選択的シングルマザー】という概念が存在するそうです。
最初の時点で、夫はいらないけど子供だけ欲しい、
とシングルマザーになることを自ら選択して実行する女性たちのこと。
それになんだか、
大きく納得してしまうわけです。
私が必要としているのは、働きながら日々子供を育てることに、
一緒に主体的に取り組んでくれるパートナーです。
私ひとりでは重い荷物を、自らともに背負ってくれる人が欲しいのであって、
「これを、ここまで、こうやって運びなさい」
と言われたから背負う人でしかないのなら、
他にも代わりがいる存在なのだと思うのです。
そもそも最初から、そんなことを男性に求めない女性たちの存在を、
世の男性たちはどう見ているのか。
変わり者が、わざわざ大変な思いをして変わったことをしているwww
と呑気に構えているのか…
実際に働きながら子供を育ててみると、
女兄弟や、信頼できる女友達と協力して取り組んだほうが、
母はよっぽど心穏やかに、楽にこの事態を乗り越えられるんだろうな、
と週に1回は頭に浮かびます。
これから子供を持つであろう若い世代の女性たちにも、
【選択的シングルマザー】が、決して不利な選択ではないことを、
声高に訴えたくなるのです。
うちの夫にとって子育ては、
できれば大変な部分はやらないで済ませたい【我慢の時】
でしかないのでしょうか。
大変だけど、【やらされている感】で終わるには、あまりにも勿体ない、
人生の酸いと甘いがギュッと詰まった【唯一無二の時間】だと思っていたんですが、
その思いを共有することすら、贅沢な望みなんでしょうね。
子育てを”手伝ってくれる”だけで御の字、
くらいで構えていないと、
期待するとガッカリして、ダメージが大きいです。
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