昔の母が、子供の私たちに言わずにいたこと

B!

 

おはようございます。みゆきです。

12歳と9歳の息子ふたりを育てています。

 

大人になってから、親とゆっくり話す機会って、

意外に、意外に少ないですよね。

 

15年ほど前、父が脳梗塞で倒れた際、

入院中の父と、ほぼ初めてくらいにゆっくり話し、

 

え?お父さん若い時、そんなことしてたの?

 

と驚いたものです。

山登りの最中に倒れた父は、

最初、随分と遠く離れた病院に入院していて、

入院患者は父ひとりの大部屋で、

窓の外を見ながらポツポツと父が話していたのを、

覚えています。

 

今の私がそうであるように、

子供にあれこれ話しても理解できないことも多いので、

 

一緒にいる時間が多いわりに、

子供は親のことはあまり知らないものです。

 

 

それは母も同じで、

父よりは大人になってからも話す時間があるものの、

知らないことが多いものです。

 

若い時の話。

父と結婚した理由。

仕事の話。

三味線を習った話。

私たちが生まれた時の話。

 

先日、母と車で出掛けた際、

私たちが学生時代の話を始めて聞きました。

 

姉と私が生まれ育ったのは、横浜市の端の方。

横浜と言っても、30年、40年前は、

まだまだ畑ばかりでした。

 

近くに団地があり、

戸建て住宅が並ぶ住宅街。

JRの駅まで、オレンジ色の神奈中バスで30分ほど。

 

小学校まで歩いて40分。

中学校も同じくらい。

高校までは自転車&電車で1時間くらい。

 

とにかく不便な地域でした。

いまはそうでもないのかな。

もう最近はわからないけど。

 

 

不便だけど、のどかで穏やかで、

近所づきあいもほどほどで、

のびのび大きくなった。

 

18歳までしか住んでいないその地域のことは、

私にはそんな印象でした。

 

 

しかし母にとっては少し違ったようで。

 

姉も私も、

中学から勉強が楽しくなり、

めきめき成績が上がり、

ふたりとも、

学区でいちばん上の公立高校へ進学しました。

 

私立高校へ進む子なんてほぼいない地域。

当時の姉や私にとってはそのK高校が、

手の届く範囲の最高位の学校でした。

 

しかしそのK高校、

横浜市内、神奈川県内、全国で見たら、

別になんてことない学校と言うか、

全然有名でもない、ごく普通の学校なんですね。

 

でもそれが、その地域では違ったようで、

当時母は、子供ふたりをK高校へ進学させたということで、

随分と嫌な思いをしたとのこと。

 

嫌味、やっかみ、嫉妬。

 

なんかいま考えると笑えるんですけど。

だって、

東大に合格したとかならまだわかるけど、

ただの公立高校ですよ。

 

なんというか、狭い世界だったのかなー

 

母は特に、私たちの勉強や学校生活にはノータッチ

という方針だったので、

高校のことを聞かれたって一切知らないわけで、

その高校のことを聞かれても

 

「よくわからない」

 

と答える母に、回りも無暗にムカついたようで(笑)

余計に嫌がらせをされたと。

バカみたい。

 

全然知らなかったので、

なんだか新鮮に思えたというか、

同じ時、同じ場所にいたのに、

当たり前に違う世界を生きていたんだなと。

 

私が今、子供たちに言わないことがあるように、

母にだってそれはあったわけで、

それを時代を超えて耳にすると、

妙に懐かしく、

その上更に、

当時の自分の思い出に、

小説で描かれるように、

背景となる事情や物語が描き込まれるようで、

なんとも不思議で、そして素敵な感覚です。

 

子供には敢えて隠していること。

子供に話しても理解できないから言わないこと。

 

大人になってから親に聞く側であり、

大人になった子供たちに話す側でもあり、

でもいま現在私は、

聞くターンです。

 

母ももうすぐ80歳。

できるだけ話す時間がとれたらいいな。

 

 

#お母さん

 

#母

 

#思い出話

 

↓をクリックいただけると、ブログランキングのポイントが入ります。

お忙しいところすみません。。


いつも応援ありがとうございます。

最新の記事はこちらから