悲しく、残酷な話ですが、
悪名高い【アウシュビッツ収容所】から生還した子供たちがいたそうです。
彼らの親や親戚たちは生還を果たせず、
3歳から4歳の子供たちは、
収容所という過酷極まりない状況を
子供同士で支え合い、生き延びたんだそうです。
平和な世界へ生還した後の彼らの様子は、
やはり【普通ではなかった】とのこと。
保育園や幼稚園の先生や、保護施設の大人たちには敵意をむき出しにし、
乱暴な行動も目立ったものの、
一緒に生き延びた仲間たちに対しては、
驚くほどの思いやりと気遣いを見せ続けたそうです。
結束は固く、自分の食事を仲間に先に分け与えたり、
他の人たちから守ったり、オモチャの取り合いもせず。
やがて長い年月が過ぎ、彼らの問題行動も徐々に減り、
平和な世界に順応し、大人になったころには社会に溶け込み、
【有意義な人生】を過ごしたそうです。
一方、1950年代ころに、息子の教育に人生を捧げた夫婦がいたそうです。
息子はほとんど学校へは行かないまま、
飛び級を重ねて13歳で名門大学を卒業。
しかし大人になった息子は、
どこで働いても長続きせず、そもそも就職することすら難しく、
安月給の単純労働を転々とし、一生独身のまま、
50代で心臓発作で亡くなったそうです。
子育ての大誤解〔新版〕上――重要なのは親じゃない (ハヤカワ文庫NF)
posted with ヨメレバ
ジュディス・リッチ・ハリス 早川書房 2017-08-24
【有意義な人生】を送り、【幸せ】になるためには、
【社会化】することが不可欠です。
人はいつの時代も【社会的な生き物】なので、
回りの人なしに、【幸せ】を実感することはできません。
働いて職場でうまくやっていくためにも、
良い友人関係を築くためにも、
パートナーとの関係を維持するためにも、
【社会化】なしには実現できません。
どのように【社会化】を遂げるか、はすなわち、
回りの人に対して、どんな言動をとるか、であり、
それはどんな人格であるか、とほぼ同義です。
優しい言動をとり続ける人を、私たちは【優しい人】と認識します。
そして↑の本では、
子供が無事に【社会化】を果たし、
まともな大人として【有意義な人生】を送るためには、
親は重要ではない、と結論づけています。
たとえ親は不在でも、大人になってしまえば、
親がいた子供時代を送った人と、なんら違いは見られない、と。
しかし、子供の【社会化】に欠かせないのは、
幼いうちに他の子供との【愛着】を築く経験、
だそうです。
たとえ親はいなくとも、
回りに同年代、年長の子供さえいれば、
子供は立派に大きくなり、それぞれの社会に適応した人になるんだそうです。
まだ上巻しか読んでないんですが、
なかなかの文章量で、読むのに時間がかかります。
割と本を読むのは早いほうなんですが、これはなかなかの量です。
でも、興味深い研究や調査結果がたくさん載っています。
以前にも、これに近い本は読みました。
多分、事実なんだろうな、と、
自分の子供時代を思い出しても、
息子たちの言動を見ても、感じます。
だからと言って別に、
子供に対する言動や方針は、いままでとさほど変わらないんでしょうが、
ちょっと肩の荷が降りて気が楽になる、
というのはあります。
幸せになれる大人に育てなきゃ、
なんて思っても、所詮私にできることはそんなにない、と。
なら、まー、
美味しいごはん食わせて、
安全を確保して、
成長を見守って、
出来る限りの環境を見つけてあげれば、
あとは勝手に、じゃないけども、
私の与り知らないところで、成長していくはずなわけで。