練習しなくてもいいピアノ教室と、格差と。

B!

 

おはようございます。みゆきです。

13歳と10歳の息子ふたりを育てています。

 

定期的に燃える話題。

 

(子供の)ピアノ教室で「毎日練習しなさい」と言われ、

もうやめたい、という弱音と、

 

ピアノは毎日練習しないと上手くならないよ、

 

と言うガチ勢と、

 

練習しなくてOKのピアノ教室は絶対流行る、

という論と。

 

ま、ピアノに何を求めるかはそれぞれだし、

好きにしたらいいんじゃない~?

と思うし、

 

練習しなくてOKのピアノ教室は既にあるというか、

そういう生徒さんはいつの時代もいただろうし、

 

「そういう子も全然良いし、実際にいるけど

すぐやめちゃうわよね。」

 

と私のピアノの先生も言っていました。

 

まあでも、『ピアノの先生』という職業の人たちは、

要は『ピアノガチ勢』として、

小さいころから毎日ピアノの練習をして、

音大に入って、そしてピアノの先生になっているので、

ガチ勢ならではのピアノの楽しさを知っているわけで、

その同じ楽しさを味わってくれる生徒さんのほうが

そりゃ教えがいがあるというもので、

でも仕事だし大人だし、時代のこともわかっているし、

その場だけでピアノで楽しませるということも、

既にちゃんとやっているよね。

 

でもこれって、ピアノ以外のことにも通ずる話だよなと

思ったのですよ。

話飛ぶようだけど、

子供が小さかった時、

毎日分刻みに忙しくて目が回りそう、というか目が回っていた時、

ふと時間が空くと、スマホで Twitter 見て1時間過ごしちゃったりしたじゃないですか。

 

せっかくの自由時間なのに無駄にしちゃって落ち込むやつ。

でもあれ、なんでなのか、がわかったのよ。

 

要はさ、人間というもの、受け身でいたいのよ。

 

受け身って、とにかくラクじゃない?

なんも考えず、言われるがまま、

与えられるがままに消費するだけでよかったり、

例えばスイミングスクールにしたって、

「このコースでクロールで〇m泳ぎなさい」

と命じらることは、

受け身の枠の中で、一部積極的に取り組むことよね。

 

ひとりでプールに行って好きなように泳ぐという習慣は続かないけど、

スイミングスクールなら続けられることがあるのは、

この受け身枠のおかげでしょう。

 

本を読む人が減って

動画を見る人が増えたのは、

受け身でいたいからよね。

 

でもピアノの練習、あとは試験勉強とか、

サッカーの自主練とか、

 

いつどれだけ、どうやって練習するのか、

全部積極的な行動よね。

 

 

この『受け身度合い』に、

すごく時代と、そして格差を感じるのだと

気づいたのですよ。

 

 

なんでもかんでも便利になって、

人々は分刻みにコンテンツにエンターテインされて、

それはまるで、

いかに24時間受け身でいられるか、

それを目指しているような。

 

でも人生を振り返った時に思い出として残るのは、

Netflix で見た映画じゃなくて、

どこそこへ行ったとか、誰々と時間を過ごしたとか、

そういう時間であって、

 

受け身でいた時間はその時になんだか脳がキモチイイだけ。

 

 

もちろん、どれだけ『受け身サービス』が発達しても、

大抵の人はやらなきゃいけないことはやるし、

わざわざ不便なキャンプへ行く人は絶えないし、

スーパーで買える魚を釣りに行く人も絶えないし、

人は無性に行ったことのない場所へ行きたくなるものだし。

 

 

でも所詮人間は、過去の時間の積み重ねでしかなくて、

 

受け身度合い:能動的度合い

 

この格差も広がる時代なんじゃないかなと。

 

アメリカの教育機関で長年働いている姉が言っていたのですが、

 

お金持ちになればなるほど、

オンラインとかバーチャルの教育じゃなく、

ハンズオン(実際に触れられるもの?)教育にお金を費やすって。

 

だから多分、

ピアノである必要は全くないけど、

何かに能動的に取り組む機会と訓練、

それが子供には必要なのではなかろうかと、

 

受け身の状態でXを見ながら考えた次第です、ハイ。

 

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#受け身

 

#思い出

 

 

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お忙しいところすみません。。


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