親の人生を、子供のそれに投影させてるんじゃないか問題

B!

 

おはようございます。みゆきです。

11歳と9歳の息子ふたりを育てています。

 

子供が生まれて、

落ち着いて赤ちゃんを眺め、

この子の人生の可能性は今後、

文字通りのガチマジの『無限大』であることに気づいて、

ちょっと狼狽えたのを覚えています。

 

なんかアタシ、責任重大。

いまからこの子が宇宙飛行士になることだって

全然可能じゃん。

私が描く下書きが、この子の人生を広げもすれば

狭めもするわけで、

親って責任重大。

 

 

育休中。

床でコロコロ転がる赤子。

散らかった部屋。

私の髪はボサボサで、

今日の予定も無し。

 

 

そんな子も今や11歳と9歳。

ガンガンに小学生を謳歌し、奮闘しています。

 

そんな小学生たちがいるリビングで夫と、

『仕事』の話になったのです。

 

夫はいわゆるSIer(エスアイヤー)と呼ばれる、

他社のソフトウェアを作る会社、

その会社に雇われるフリーランスエンジニアです。

 

「SEは別にいいんだよ、オレ向いてるし。

でもやっぱさ、自社のソフトウェアを作る仕事のほうが

楽しかったんじゃないかな~と、いまは思う。」

 

 

一方の私は、前職は広告代理店。

 

「私もさ、他の会社の代理で仕事をするより、

やっぱり自分たちの会社の製品とかサービスを作る仕事のほうが

楽しかったんじゃないかな~と思う。」

 

 

小学生たちは、同じ部屋にいつつも他のことをしていて、

中年たちの呟きは耳に入っていない様子でした。

 

 

でもここで思ったんですよね。

 

親、というか大人って結局、

これまでの自分の人生を振り返って、

『無いもの』を探す傾向にあるよなって。

 

『持っているもの』がこんなにあるのに、

『無いもの』に注意が向きがちというか。

 

 

仕事にしたって、

SIerでの仕事はきっと、

夫のポテンシャルを最大限に発揮する道だっただろうし、

 

あの代理店に入社したことは

私の人生を切り拓くきっかけになったと

いまでは思っていて、

 

私たちにとってはやっぱり

『正解』だったのだと思う。

 

 

『無いもの』に目が生きがちなのは人の性(さが)で、

多分親としてすべきは、

自分の人生に『無いもの』を子供のそれに反映させるのではなく、

ましてや『あるもの』を反映させるのでもなく、

 

自分の人生に『あるもの』で、

自分が最大限幸せに過ごすことで、

 

子供たちが『無いもの』に目がいって苦しい時、

 

『あるもの』に気づかせるための、

きっかけのひとつ、

そんなものになることなんじゃないか。

 

親なんて、

輝かしい未来を生きる子供たちにとっては、

素朴でささやかで、

キラキラ感ゼロで、

ちょっとうっとおしい。

でもまぁやっぱり、安心安全ではある。

 

そんな感じじゃん。

 

まぁ要するに、

親も親で、今をめいっぱいに

『あるもの』で満ち足りて幸せに生きようぜと、

それが我が家の方針です。

 

 

 

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お忙しいところすみません。。


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