未知の生物でしかなかった

B!

 

おはようございます。みゆきです。

11歳と9歳の息子ふたりを育てています。

 

なんだかすっかり大きくなった我が子たち。

でも、『赤子時代』はつい最近にも思えます。

 

私にとっては、いろんな意味で

今まで生きてきた中でいちばん辛く大変な時期であり、

いまとなれば『私の人生の大きな波』でした。

 

でも、いま考えても、

あの時期を十分に楽しめなかったことは、

どう考えてももったいない。

 

いまでもかわいい子供たちが、

当時はもっともっとかわいくて愛らしくて、

もっと楽しめたらと、

その点は後悔しています。

 

次男(9)左右のうち一方だけ、

耳が少し、前を向いているんです。

真正面から顔を見ると、

普通耳はあまり見えないと思うんですが、

片耳だけ、出っ張ってるんですよね。

 

生まれつきそうなのだと思って何気なく言ったんです。

 

「次男くんは、こっちの耳だけ

少し出てるね(笑)」

 

そしたら次男が、思いがけないことを言いました。

 

「オレ、小さい時、

たぶん1歳とか2歳の時、

耳をこうやっていじるのが楽しくて、

ばばば~って耳やってたの。

だから出ちゃったの。」

 

え?うそ。ほんとに???

 

「うん、ほんと。

だってほら、耳のここ、

こっちの耳より柔らかいでしょ?」

 

え…ほんとだ。

 

 

耳の軟骨の部分が確かに、

もう一方の耳より柔らかく、

次男の言う通り。

 

当時いじっていたように耳をいじって見せる

その素振りも、

なんというか手慣れていて、

本当のことを言ってるのだということがわかりました。

 

 

エピソードはこれだけではないけど、

言葉も話せなかった頃、

何を考え何をしていたか、何を感じていたか、

大きくなった本人の口から聞くと、

なんというか不思議な気持ちになります。

 

 

物言わず、泣いたりわめいたり笑ったり怒ったり、

そんな未知の生物でしかなかった赤ちゃん。

 

そんな赤ちゃんも、

自分と同じ『人』であり、

同じように考え、感じ、

動機があって行動を起こすのだということ、

頭ではわかっていても、

 

育てていた当時、

なんかピンと来ていなかった。

 

だからなんというか、

もっと『人』として付き合えたら、

もっと楽しめたんじゃないか。

 

 

お腹が空いて泣く、ということは理解していたけど、

それは、

私がお腹が空いているとイライラするような気持であり、

目を合わせて笑う、

というやり取りが、

大人でも同じように心和む素振りであるわけで、

 

赤ちゃんは決して『未知の生物』ではなくて、

ただただ、小さな『人』なのだということ、

もっと実感した上で育てられていたら、

楽しめたのになー、って。

 

 

きっと『子供が好き』と言う人は、

それをちゃんと知っている人なのではないかな~。

ちがうかな~。

 

 

次男の耳を見るたびに、

なんかそんなことを思うようになりました。

 

それにしても、

赤ちゃん時に感じていたこと、思っていたことを、

少し大きくなった本人の口から聞くのは、

すごくおもしろい。

 

真偽のほどはわからないけども、

こうも言っていました。

 

「おれ多分、なんとなくだけど、

ここ(洗面所)でママにお風呂入れてもらってたの

(沐浴)おぼえてる気がする。」

 

 

 

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