おはようございます。みゆきです。
11歳と9歳の息子ふたりを育てています。
私の記憶が書き換えられているのかもしれないけど。
自分に都合のいいことばかりを覚えているのかもしれないけど。
この前 Google Map でたまたま、
私が生まれ育った家を検索してみたら、
もう既にその住所は無くて、
見覚えのない区画で家が建っていました。
両親がその家を売って別の場所に引っ越したのももう10年以上前だし、
そりゃそうか。
そのまま残っているとは限らないんだよね。
覚えている、横浜の家。
和室の居間。
その隣の、フローリングのダイニングキッチン。
台所で母がご飯を作ってくれて、
配膳は主に子供の役目でした。
多分、私の記憶が間違っていなければ。
醤油さしがいつも置いてあった場所。
お箸の場所も覚えています。
お盆でご飯やら味噌汁やらを運びました。
多分、毎日。
あれを運んで、これを運んでと母に指示をされて、
言われるがままに運びました。
そして、『母側』となったいま、
毎日毎日毎日毎日
「ほら運んで」
「醤油も」
「ケチャップ持ってって」
「箸と、今日はスプーンもね」
「自分たちの水持っていきなさい」
「ほら、運んで」
「テレビ止めて運んで」
「自分のだけ並べるんじゃなくてみんなのも並べて」
「運んで」
「運びなさい」
『うるさいなー』
という顔で、運ぶ子供たち。
でも自分で考えて運ぶのではなく、
言われるがままに運びます。
『ガミガミ』
言う側の気持ちを、
私も自分が母親になるまで知りませんでした。
言うのも、
全然
嫌
だよね。
言われるのも嫌だったけど多分、
今思うと、
言う方が断然
嫌
だよね。
何ってとにかく、
面倒。
言ったってなかなかやらないし、
かと言って言わなければ、
全部私がやらなきゃいけなくなるし、
毎日のことだし、
私だけ立ち働いて、
赤ちゃんでもない子供たちがゴロゴロとテレビを見ているのは
やっぱりおかしいし、
みんなのご飯
みんなで準備するのが当たり前だし、
だからやっぱり、
言わないわけにはいかないわけで。
でも言うのも本当に、
嫌
だし
面倒。
言うたびにつべこべと反抗されて、
言い訳されて、
いちいち面倒。
でも、言わざるを得ない。
「ママだってさー、
もう言いたくないのー。」
そう言ったところで、
言う側の気持ちなんて、
子供たちにはわかるわけもなく。
私が子供だった時と同じように、
子供たちは嫌々、
遊びながら、
毎日毎日。
きっと彼らも、いつか『言う側』になった時に、
それに気づくか、どうか。
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いつも応援いただき、本当にありがとうございます。
本当は不安でたまりません。