おはようございます。みゆきです。
9歳と7歳の息子ふたりを育てています。
ふたり目ならでは。
長男が通うバレーボールチーム。
この度次男も入部させることにしました。
学童もあるし、次男が行くとなると送り迎えが必要なので、
私のスケジュール的に毎日参加はできないけど、
週末を中心に参加しようかと。
長男も次男も、どんどん体力がついてきて、
運動不足だと喧嘩が激しいのです。
夫と話し、どこかで発散が必要だという結論になりました。
かと言って兄弟で別々の習い事をされても
親が忙しすぎるので、かなり誘導する形で次男もバレーボールへ。
そして次男、逸材ではないと思いますが、
比較的運動能力が高いほうなので、
運動しないのももったいないなと思い。
いろんな理由を総合的に判断して、
長男と同じチームに入れることにしました。
そしてこのバレーボールチーム、
兄弟姉妹での参加がかなり多いです。
どこのご家庭も同じ状況・理由でそうするのだなと思います。
幼児期に読んだ本なのですが、
いまこそ何度も思い返すこの本。
『遺伝か環境か』
という議論についての話ですが、
当たり前ですがそんなにスッパリと割り切れる話ではなく、
要は両方。
遺伝×環境
なわけです。
子供は環境が求める程度に発達する
遺伝で受け継いだものを
環境によって発達させるのですが、
モーツァルトやヴェートーヴェンも
虐待レベルの英才教育を受け
歴史に名前と作品を残すまでになりました。
医師の子供に医師が多いのは
医師になれるくらいの勉学に対する適正を遺伝で受け継ぎ、
その上で『医師になるもの』という前提で親が教育を施すから、
なのですよね。
しかし当然、
モーツァルトにしろ
医師にしろ、
音楽家や医師になれば幸福なのかというと
そういうわけではないわけです。
子供には幸せになって欲しい。
でもきっと医師になるためには
小さいころから必要最低限の教育を受けていないとダメ、
な可能性が高い。
医師になるかどうかは子供次第だけど、
医師になれる教育水準なら他の職業にも就ける可能性が高いであろう。
それは子供に選択肢を与えることになる。
だから高い水準の教育を受けさせたい。
その『高さ』がどの辺なのか、
それは親次第ですが、
そう思う親御さんは多いんじゃないかな。
しかし私は同じくらい大切にしたい。
情緒が安定した環境。
つまりそれは、夫や私のメンタル。
塾に金を使い(塾って高くない!?)
送迎に時間を使えば、
夫と私のメンタルは荒むでしょう。
そうよね、何事もバランス。
無理のない範囲。
その範囲も様々ですが、
うちは多分、かなり余裕を持つタイプです(笑)
子供は環境が求める程度に発達する。
親が子供に望む発達の分野とその程度は、
敢えて言語化する機会もあまりないですよね。
夫が求めることはただただ、
自立だそうです。
自分で働き、自分で食べていければそれでよしと。
私が求めることは、
健康と、
好きな人に好かれる力です。
健康で
自立していて
友達がいる。
十分じゃない?(笑)
あとはもう・・・好きにして(笑)
サポートはする。
できる限りのことをする。
でも、何をどうしたしたいかは、
自分で考えて欲しい。
だってさ、
10年後20年後に役に立つ技能が何かなんて、
わかんなくない?
時代はどんどん移り変わっていて、
暗記型中心だった私の時代の教育なんて
もはや2世代くらい古いじゃないですか。
そんな風に、
いま存在する教育が、息子たちが大人になる過程で、
なった後に役に立つかなんて、
わかんなくないですか?
本人たちに聞いたほうが
よほどわかると思うんですよね。
っていうのは多分半分嘘で~・・・(笑)
私は私の人生に忙しいので、
子供のことをそこまで考える時間がないのですよね。
子供は環境が求める程度に発達する。
うちの子たちは
夫と私の子として
うちに生まれたわけで、
それ以上でも以下でもなくて、
私たちの無理のない範囲で
子供に発達を求めるしかありません。
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最後までお読みいただきありがとうございます。
ひとりでできることには限りがある。