おはようございます。ワーキングマザー・サバイバルのみゆきです。
6歳と4歳の息子ふたりを育てています。
2年前に脱サラして、いまは自宅で仕事をしています。
コロナが始まる前は、外で人に会ったり、ということも多かったですが、
最近はもうほとんど自宅です。
自宅の中に、小さなオフィスを作っています。
壁に面している机。
その壁に、子供たちの作品を貼り始めて、こんな感じ。
保育園で作ってきたもの、
家で描いた絵、塗り絵、
私が貼り始めたら、
「これを貼って欲しい」
と子供たちも言い始めて、
いまこんな感じに。
仕事をしながら、ふと見上げると子供たちの作品が目に入ります。
小さなプクプクの手、
うつむいた真剣な顔、
私に向ける笑顔、
大人ぶった素振り、
色々思い出して、
愛おしさが胸を満たします。
『かわいいなぁ・・・』
とね。
その気持ちのままお迎えに行くのですが、
ものの5分も経たないうちに、
「やめろ!!!」
と大きな声を出していたりして、
なぜあの愛おしさが、
実物が目の前にいると継続しないのか、
不思議で不思議で。
いや、もちろん、目の前にいながらこみ上げる時もあります。
しかし、いない時にこみ上げる気持ちって、
独特だなって。
あ~え~な~いじかんがぁ~
あ~い~そ~だ~てるのさぁ~
め~を~と~じ~れば~
き~み~がいるぅぅ~♪
誰だっけ?
郷ひろみ?
ほんの1時間後にはお迎えに行くのに、
スマホで撮った写真を見てニヤニヤしたりするの。
そんで、実物帰ってくると
つい怒鳴りつけちゃう。
でも多分、それでいいんだろうなって。
いや、怒鳴りつけちゃうっていうのは
それでいいとは思わないんですが、
会えない時間が毎日あるというのが、
私はいいんだろうなって。
HIROMI GOが歌うように、
会えない時間がないと私は、
子供のことをこんなに愛おしく思えなかっただろうなって。
人、親によって、
子供と離れていたい時間の長さは違うと思いますし、
子供の年齢にもよると思いますが、
今の私は、
この、平日8:00-18:00の10時間を離れて過ごして、
それ以外の時間一緒にいる、
そのペースが、
子供への愛おしさを最大化するバランスだなと。
どなたかがTwitterで、こんなことを言っていたんです。
『仕事でいろんなご家庭のいろんな状況を見てきたけど、
子供や家族にとって何が大事って、
大体いつも機嫌の良い大人が家の中にいることだと思う。』
例えばコロナ禍での休校中、
子供と一緒にいる時間が長過ぎて、
私は機嫌よく過ごせる時間が本当に少なくなりました。
そして今は、基本的に終始ご機嫌に過ごせています。
そこまで嫌なこともなく、
逆に嬉しいことは多々あって、
会えない時間に子供たちのことを想って、
会ったら会ったで怒ることも多いけど、
大半の時間は機嫌よく過ごせています。
『子供のため』
そう思うと、そこには際限もキリもないし、
他の選択肢を知らない子供に、誰と一緒にいたいかと聞けば、
そりゃ「ママ!」と言いますが、
『子供のため』と一緒に、
『自分のため』という指標も、
バランスよく入れていかないと、
最終的には子供のことも幸せにできないんだろうなって、
思いました。
母たるもの、自分のことは後回しにして子供を最優先。
いやもちろん、
生きるか死ぬか、となったら
自分の命を子供に譲ることに迷いはありませんが、
みんな健康に生きているなら、
自分のことも優先するタイミングを作っていかないと、
少なくともご機嫌ではいられないですよね。
そしてもう私は、
子供に隠れて食べるハーゲンダッツや、
夫がコンビニで買って来てくれるスイーツや、
子供のテレビを見ながらの家飲みでは、
自分の機嫌を取れないこともあるので、
子供の身の安全を確保しながら、
自分を甘やかす時を作っています。
そう、そろそろ、友人と年に1回くらい、
温泉旅行とか行きたいな~、とも思っています。
そんな選択肢があるなんて、つい最近まで忘れていたんですよ。
まだちょっと、気軽に温泉、という時期ではないので、
もうちょっと先ですが、行きたいなと。
ね、楽しそうじゃない?
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お忙しいところすみません。。
いつも応援ありがとうございます。
自分以上に頼りになる人、いますか?