おはようございます。ワーキングマザー・サバイバルのみゆきです。
5歳と3歳の息子ふたりを育てながら、共働きのお金、子育て、仕事などについて書いています。
この↓あたりのカテゴリーで、さんざん、さんざん、
『性別による役割分担』で苦しんできた感のある私です。
独身、そして子供を産む前に働いていた時は、
あまり気づきませんでした。
別に、女だからって損なことばかりじゃない、
って思っていました。
女であるという特権も使えば、
結構うまく渡り歩いていけんじゃね?
って思っていました。
でも結婚して、子供を産んで、
ひとり、たったひとりで全部抱えて戦うことになり、
そこでやっと気づきました。
ああ、
女ってだけで、
被害に遭い、
痛みを引き受け、
耐え、
忍び、
変化を迫られ、
捨てたくないものを捨て、
文句を言うと、
好きで産んだんだろ、と言われ、
子供の可愛さも絶大だけど、
背負うもの、
被るものが、
予想を超えて、
これまた絶大でした。
声も出ないほどにヒーヒーしていたころ、
一方の夫は、
それまでと変わらない生活を続け、
こんなことまで言いました。
自分は差別され、
抑圧され、
搾取されている側なのだと、
血を流しながら完全降伏しました。
『自分は差別されている。』
これを認めることが、
そもそもとても辛い経験でした。
我が家に関しては、
夫の素直さを頼りに、
徐々に改善を重ね、
今は割と平穏です。
このブログはその闘いの記録ですw
と、今は笑うこともできます。
しかし次に不安に思い始めたのは。
いまの日本で、男の子をふたりも、育てているということ。
闘いの中で、
夫個人の問題に加えて、
社会の問題というか、
社会全体が、
男性、男の子、
女性、女の子、
に対して発するメッセージにも、
大いに問題があるということを
学びました。
たまたま今朝、
玄関で小競り合いをする兄弟を見て、
夫が長男にこう言いました。
「お、長男クン、いまのはずるいぞ。
長男クンは、正々堂々勝つことを覚えて欲しいな~。」
正しいメッセージでもあり、
正確ではないメッセージでもあり。
「勝たなくても、いいんだよ?」
と私がボソッと言うと、
「あ、確かに。
『勝ちたい』と思った時、
正々堂々と勝てるようになったほうがいい。」
これが正確な言い方だったのか、
まだ検証の余地はありますが、
世界中の男の子たちが受け取り続けているメッセージは、
『競争と支配が、すべてだということ。』
アニメしかり、
CMしかり、
父親しかり。
社会が女の子に従属と純潔を求める時、
男の子には、強さと、冷徹さを求めています。
産後、ボロボロの鮭のようになった私は、
夫にこう言ったんです。
「優しくしてください。助けてください。」
でも夫は、『優しくする』には具体的に何をするのか、
わからなかったようです。
だから具体的に、
「黙って背中をさすって欲しい。」
「『大丈夫?』って優しく小さな声で言って欲しい。」
「できるだけ早く、家に帰ってきて欲しい。」
そう言わないと、私が求めていた優しさを、示すことはできませんでした。
優しさと思いやりは、
男のルールに含まれていない。
男性が『優しさ』や『思いやり』の能力に欠けているわけではなく、
相手が同性の男性であれ、女性であれ、
『優しさ』と『思いやり』を示す男性像が、
あまりにも足りないんです。
男性が『優しさ』や『思いやり』を表現するとき、
それは『女っぽい』『女々しい』と揶揄される対象となってしまう。
そして、
女性が『男性並み』に働いたり、
『男っぽく』やんちゃになることは、
『ステップアップ』と捉える代わりに、
男性が『女っぽく』
男の子が『女の子っぽく』振る舞うことは、
『ステップダウン』と
社会全体が捉える節がある。
男装する女性よりも、
女装する男性のほうが『難しい』『微妙』と感じてしまうのは、
男性も女性も同じはず。
悲観ばかりしているわけではありません。
明るい未来のことも、ちゃんと書いてある本です。
すごくすごく、勉強になりました。
息子を育てていなくても、
きっと何度も膝を打つことになる本だと思います。
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いつも応援いただき、本当にありがとうございます。
本当は不安でたまりません。