『好きな女子をいじめる男子』という概念の話

 

おはようございます。みゆきです。

9歳と6歳の息子ふたりを育てています。

 

Twitterで見た、この話。

 

5歳の娘がいるお父さんが書いていたんですね。

 

娘が『苦手』と言う男の子がいて、

その子が娘をキックしてきて、

そしてその後娘の荷物を持ってあげていたと。

それはつまり、好意をうまく表現できず

ちょっかいを出してしまう不器用な男子なので、

お父さんとしてはニヤニヤしちゃったよ。

 

 

という内容だったんですがね、

私を始め、嫌悪感を示す人も多数いました。

 

このお父さんや娘さんのことはわからないですが、

今日はこの

 

『好きな女子に対して

うまく好意を表現できず

ちょっかい出したりイタズラしたりしてしまう

不器用な男子』

 

という概念について。

 

 

息子を二人育てていると、

こういう話には敏感になるんです。

 

 

この↑の『概念』

もう少し詳しく砕いていくと、

 

↑のような男子は、

不器用だけど好意的に捉えられていますよね。

微笑ましいというか。

 

不器用・・・>純粋/かわいい

という構図すらイメージされます。

 

 

そして、そんな男子を最初は嫌がっている女子もどこかで、

 

『彼は不器用だから好意をうまく表現できないだけで、

私のことを好いてくれてるのだ。

不器用なかれはかわいいし、

そんな人に好かれているなんてとても嬉しくありがたいことなのだ。』

 

そう思って許容し、そんな彼を好ましく思う。

そんな女子までがセットになっているのが

おそらくもともとのこの概念の形です。

 

 

おそらくこれは、

アニメなのかドラマなのか映画なのか漫画なのか、

何かのコンテンツで描かれて、

それをテンプレートとして繰り返しコピーされて、

そして浸透&定着していったものだと思われます。

 

 

そして最近になってやっと、

 

いやいや、違うだろ。

 

ということが徐々に言われ始めてますね。

主に女子側からの声として。

 

 

そして私はできれば、

うちの息子たちには

この『概念』自体がない世界で生きて欲しいなと

そう思うわけなんですよ。

 

話飛ぶようなんですが例え話です。

 

私、アメリカに留学したんですが、

いちばん長く住んでいた場所がテネシー州という南部の州で、

そこで英語を覚えたために、英語が少し訛っているんですね。

 

アメリカの人と話すとたまに指摘されます。

 

「どこで英語覚えたの?」って。

 

 

そしてアメリカでは、その南部の訛りっていうのは

ちょっと馬鹿にされるというか、

田舎者扱いされるようなものらしいんですね。

 

だからアメリカ人の人からすると、

見た目100%アジア人の私が

南部訛りの英語を話すと、

すごく不思議で面白いらしいんですよ。

 

そのおかしさを、よくアメリカ人の人は私に説明するんです。

 

「だってさ~、どう見たってアメリカ人じゃないのに、

サザンアクセントってびっくりするし、

おもしろいじゃ~ん!」

って。

 

 

でも私の中に、『アメリカ南部』のイメージや

『南部訛り=田舎者/ちょっと面白い』

という概念は無いんですよ。

 

聞いて知識としては知っているんですが、

そのテンプレートも知らず、

そのイメージを共有してきていないので、

その面白さや不思議さが、感覚としてわからないんです。

 

 

 

『概念』て、そういうものなんです。

 

人の中を伝わり、

描かれ伝わり、

物語の中で伝わり、

文化と混じり、

人の中に共通のイメージを描く。

 

それが『概念』なんですよね。

必要に応じて途中で名前がついたりもします。

 

 

 

だから、↑の『ちょっかい出しちゃう男子』

っていう不要な『概念』を

知らないままに大きくなって欲しいなと、

そう思ってるわけです。

 

 

いやいやだってさ本来、

好きなら優しくすればいいだけの話なのに、

なんでちょっかい出したりイタズラしたりしちゃうか

ってそういう話ですよ。

 

 

優男(やさおとこ)?

とかそういう『概念』(また出てきた)

とつながってる話なのかな?

 

優男も不思議な言葉ですよね。

 

辞書では、

 

姿かたちが上品ですらりとしている男。 また、性質のやさしい男。

 

と出てきましたが、

 

〇〇女

〇〇男

 

と言う場合、

そういう女/男が珍しい時

その言葉が生まれるんですよね。

 

優女(やさおんな)という言葉がないのは、

『性質がやさしい女』

という存在が珍しくないからで、

 

つまり、

男が優しいことが珍しいから、

優男という言葉があるわけですよね。

 

 

もうなんかさ、なんでそんなにひねくれさせるのかなと。

 

好きな人には優しく。

 

こういうシンプルな話で、なぜダメなのか。

 

 

だって、優しくされたら嬉しいじゃん?

みんな優しくされたいじゃん?

それでいいじゃん。

 

 

とはいえ息子たちもどこかで、

↑の『ちょっかい出しちゃう男子』という概念に触れると思うんです。

そういう時、

 

『なんで好きなのにちょっかい出しちゃうの?』

 

感覚的にそう思える人のほうが、

だって好かれるじゃん、普通に。

 

好きな人に優しくできない。

っていうこじれた概念を持っているって、

見るからに生きにくそうだし、

幸福に辿り着く道もグネグネと曲がっていそうじゃないですか?

 

 

人生はただでさえ困難だし、

うまく行かないこと

大変なことばかりなので、

 

せめて人にだけは恵まれてくれたらなと、

私は思うんですよね。

 

 

そして、既存の概念を疑わずに済む、

それすらも特権であるということ、

大きくなって気づいてもらえたらいいな、

とも思うわけです。

 

 

 

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#ちょっかい

 

#子育て

 

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