この罪悪感から、私は一生自由になれないのか

B!

 

 

おはようございます。ワーキングマザー・サバイバルのみゆきです。

 

子供たちと私で、ここ数ヶ月チャレンジしているゲームがあります。

それは、くしゃみをしながら特定の言葉を言う、という遊び。

「ハクション!!!」

という音が口から発せられている最中って、しゃべれませんよね。

そこを頑張ってしゃべる、という遊びです。

まずはそれぞれ、自分の名前を言ってみました。

私の場合は「へ…っくし…ママ!」

私が成功しても、子供たちは気づかないことが多いので、もっぱら子供たちが成功したのを私が喜ぶ、という図です。

5歳と2歳の子が、くしゃみをしながら、頑張って「へっく…ブ…タ!ション!」(ブタ)と言う様は、なんともなんとも筆舌しがたいほどに可愛らしいです。

成功した後の、ニヤ~、という顔も、なんとも言えません。

「次は、カバン、て言うね」

と次に挑戦する言葉を自分で決めます。

気が利く女がイイ女。

空気を読めない女はイタイ。

 

こんな無言のメッセージ、プレッシャーを、物心ついた時から受け続けていたのだと、今更ながらに思います。

そのメッセージは、絵本の中、テレビドラマの中、CMの中、親たちの話す会話の中、を通じて、友達との会話の中に。

その時点でもう、隙間なく囲まれている状態です。

そうやって、相手の気持ちを読み、それに対処するように宿命づけられてきた私たちが、

ママと離れるのを嫌がる子供の気持ちに共感しないわけがありません。

共感する力を仕込まれてきたが故に、

「ママがいい~」と泣く子供を保育園に置いて仕事に行くことに、

罪悪感を覚えずにはいられません。

 

働くママを取り巻く状況は、何本もの糸が、複雑に絡まり合っているのだと、改めて認識を深めた本です。

研究データというよりも、現場にいる女性たちの生の声や感覚を、わかりやすくテーマ別にまとめた本、というところでしょうか。

 

 

罪悪感を感じていない女がいたら、それは男よ。

 

ママと一緒にいたがる子供を保育園に預けて働く罪悪感

子供の体調不良で仕事を休まなければいけない時の同僚に対する罪悪感

子供が体調が悪くても自分の手で看病できない時の罪悪感

定時で早々に会社を出る時の罪悪感

出張には行けないと断る時の罪悪感

いつ大地震が来るかもわからないのに、保育園まで1時間の距離で毎日働いている罪悪感

 

言われてみると、なんとまぁ、私たちは、実にいろんな種類の罪悪感に包まれているのだな、と。

そしてそれは、アメリカでも近い状況のようです。

 

社会人として、大人として、自分の可能性を試し、能力を高め、評価や対価や喜びを得ること、

それは人間としては根源的、本能的な欲求だと思います。

そのための手段が、仕事、家事、子育て、趣味、ボランティア、であったりするわけです。

手段が何であるかはその人の自由ですが、

女性が、特に子持ちの女性が、その手段として仕事を選んだ時、

途端に【罪悪感】が付きまとい始めます。

男性は、子供がいようがいまいが、働くことで罪悪感なんて感じたりしません。

たとえ状況が今と同じでも、この【罪悪感】だけを私の中から取り去ったら、

ジャグリング具合は変わらないものの、物理的な忙しさは変わらないものの、

心理的には、ワーママ稼業はいまより数段、快適だったと思います。

 

『でも働くママは、仕事と子育て、両方味わえる、それはとても豊かな経験。』

『最終的には子供はママになついてくれるし、パパより子供のかわいさを味わえる。』

どちらも真実ではあると思うんですが、

不利な状況にある人が、苦し紛れにその不利に目をつぶるんでは、

何の解決にもならないわけで、

また同じように不利な状況に陥る人が後に続くわけです。

 

じゃあ何が言いたいかというと、

その罪悪感、この罪悪感は、感じる必要のないものなのでは、と私たち自身が納得するべきだということです。

無意識に植え付けられたプレッシャーは、植え付けられていることすら実感できないと思いますが、

その罪悪感、この罪悪感はおそらく、いつも視界を曇らす霧のようで、

よく目を凝らしてみると跡形もなく消えてしまうような、

あやふやなものなんだと、少し頭の片隅に置いておいてください。

あ、この本は、働く母なら、「わかる~」×100、って感じですので、ご興味あればぜひ。

 

 

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