おはようございます。ワーキングマザー・サバイバルのみゆきです。
8歳と5歳の息子ふたりを育てています。
子供を育ててみて初めてわかったこと、たくさんありますね。
『子育て世帯』と、それ以外とは分けて考えられることが多い印象があり、
それがなぜなのか、実感できました。
昔たしか高校生くらいのころか、父に聞いたんですよね。
「なんでいつもニュースとかで『子育て世帯』って言うの?」って。
そしたら父はこう答えたと思います。
「そうだな~・・・
子供がいる家は、大人だけの家に比べてお金を使う機会が多いから、かな。」
ふ~ん・・・
と思ったんですが、
その意味がわかりましたね。
とにかく、子供の成長に伴ってずっと変化が続くから、なんですよね。
それはお腹に命が生まれたときから始まって、
赤ちゃんが生まれ、育って歩き始めて、
しゃべり始めて字を覚え、
学校に行って体もグングン大きくなって、
なんでもかんでもとにかく、
子供の成長に合わせてなんやらかんやら、
買い替え、書い足しが多いのですよね。
大人の私ひとりだけで暮らしていた約10年間。
そのうちのほとんどと同じ部屋で暮らし、
大型家具を買い換えることもなく、
テレビを一度買い替えた、
パソコンを一度買い替えたくらいか。
服だって汚れない限り同じものを着続けられるし、
10年間食べる量も変わらなかった。
それがいまでは、常に何か新しいものを必要とし、
サーチして調べて買い足し、
狭い家の中でテトリスのように組み合わせたり、
いらなくなったものは処分したり。
家の中に新しいものが増え、だんだん使わなくなる。
仕事のペースすら子供の成長に合わせて変化する始末。
『子育て世帯』って確かに特殊。
多分、私は子供がいなかったら少なくとも今よりは長く、
会社員をやっていたと思います。
ワーママには比較的優しい環境だったにもかかわらず、
それでも私には『両立』が厳しかった。
何もかも中途半端になってしまい、常にひとり時間に飢えた状態でした。
『こんな大変なこと、いままでみんなやってたの?』
出産のときも新生児を育てていた時も、
仕事に復帰したときもずっとそう思いました。
『こんなに大変なのか』って。
それは明らかに『負担』であり、
『負担の偏り』であり、
こんなに大変なら、そりゃ子供は減るでしょ。
そう思いました。
結婚とは、男を24時間働かせるために女をあてがい、
子育てや介護、労働量の再生産などの負担を押し付ける制度。
上野千鶴子氏や田嶋陽子氏が言っていたこと、
『なるほどなー』と、
結婚して子供を産んで育ててみて、
『なるほどなー』と。
でも今既に結婚していて子供がいて、
それはそれで気に入っているとき、
とはいえでもやっぱり『両立』が大変すぎるとき、
ふと考えたんですよね。
子育ては『負担』なのか。
例えば結婚式(うちはやってないけど)とか新婚旅行とか、
家族旅行とか。
そういう夫婦や家族の『プロジェクト』ってあるじゃないですか。
大変だけど相談しながら、喧嘩しながら進めることで
人と人とのつながりが強くなったり思い出が増えたり。
子育ても
夫婦や家族の『共同プロジェクト』として取り組めれば、
大変なりに楽しめて、
それはもはや『負担』ではなくなるんじゃないか。
そのために必要なのはやっぱり、
夫婦双方が同じだけそのプロジェクトにコミットすることや、
双方が最低限の余裕を保てるだけの環境なんでしょうか。
子育てが『負担』である限り、
やっぱりどうしたって子供は増えないし、
負担に圧し潰される親が累々と横たわっている現状に
気づいている人すら少数派なわけで。
子育て、
できることならもっと楽しみたかったし、
もっと楽しみたいな。
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いつも応援いただき、本当にありがとうございます。
本当は不安でたまりません。