感情的な母親です。

B!

 

おはようございます。みゆき(@miyuki_thewm)です。

7歳と5歳の息子ふたりを育てています。

 

『良い母親』ってどういうものなんでしょうかね。

 

『良い母親とはどんな母親か』

というテーマで哲学対話したら面白そうです。

 

自分がどんな『母親』になるかは、

自分の母親がどんな母親だったか、に左右される部分もあると思うのですが、

私の思う『母親像』についての話。

 

難しく考えすぎかもしれないんですが、

我が家は息子二人。

彼らにとっていちばん近い異性が私なわけです。

もちろん息子たちにとったら、

私は『女』である前に『母親』だとは思うものの、

『女像』のぼんやりとした原型みたいなものも、

私から型どっていくんじゃないかと思っています。

私が、ぼんやりとした男像を我が父から得たように、

好き嫌い関係なく、どうしたっていちばん近くにいる女なので。

 

そんな私が気をつけている、息子たちにとっての『母親像』の話。

 

とにかく無理をせず、できるときに奔放に自分を出していこうと思っています。

母親だからっていつも冷静に笑顔でいようなんて思わないように。

母親だって、不完全な人間のひとりであるということ、

そして、父親と同じ人間であるということ。

 

私はガサツでズボラで面倒くさがりで、

得意なことと不得意なことの差が激しく、

我が強くて理屈っぽい人間です。

 

もちろん、

理不尽なこと、暴力的なこと、

権力を濫用することはせず、

基本的にはいつもご機嫌だし冷静です。

 

でも子供の前でも、怒ったときにはちゃんと怒り、

疲れたときには疲れたと弱音を吐き、

悲しいときには悲しみを表現していこうと思っているんです。

 

子供の前だからと抑えることはできるくらいには大人なので、

タイミングを見て、ここぞというときには

感情的になるようにしています。

 

先日の話。

 

「ご飯できたよ~」

 

私が子供たちと夫にこう声をかけても、

彼らは何かポケモンカードの話で盛り上がっていました。

 

「ご飯、できたよ~」

 

楽しそうに話しています。

 

「ご飯できたってば~」

 

「は~い」

 

返事だけで、顔も意識もポケモンカードへ向いている3人。

 

 

「はい、もう知らない。

ここに置いておくから勝手に食べてください。

ママはもう知らないっ!

ご飯できたって言ってるのに無視されるのは、

ママはすごく、すごく!嫌です!

もう知らないっ!!!

勝手にすれば!!!」

 

ご飯は子供たちのものであることはみんながわかっていたことなので、

(夫のご飯は基本私は作りませんから)

夫は悪いわけではありませんでした。

 

「ママが怒っています。

なぜかと言うと、

ご飯を作るのは、けっこう大変だから。

ホラ、テーブル片付けて、ママにちゃんと謝って。」

 

 

夫の助け舟も借りながら、

母親を、女性を、『家事担当』だと見なさないように、

ちゃんと怒り、言い含めたいと思っています。

(言い方には気を使います)

 

 

建設的なケンカになりそうなら、

子供たちの前で夫への怒りも示します。

もちろん子供にそれを見せるときは、

最後の仲直りまで子供たちに見せます。

謝るべき側が謝ったり、ふたりとも謝ったり、という姿を見せます。

 

私や夫がが感情的に怒ると、

 

「ケンカするなー!」

 

と子供は言いますが、

 

「対等なケンカは必ずしも悪いわけではない無い。」

 

と答え、ケンカを続行します。

そしてちゃんと仲直りします。

 

 

母親は、親は、必ずしも正しいとは限らないし、

絶対的な存在でもない。

とはいえどうしたって子供にとっては絶対的な存在になってしまうものです。

その絶対的な存在は、

自らボロを出していくほうが、

子供たちにとっても私にとっても、

結果的に『良い』方向に転ぶのではと、思うのです。

 

さて、今日も人間ぽく、いびつに参りましょう。

 

 

 

 

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