おはようございます。ワーキングマザー・サバイバルのみゆきです。
我が家は公園遊びが必須です。
5歳と3歳の活発な息子たちがいて、週末家の中で過ごすのはお昼までが限界です。
※活発な子が『良い』とは言いません。
早めのお昼ご飯を済ませるともう、兄弟ゲンカ、ソファからのジャンプ、私への絡みつき、何かを投げる遊び(家の中にボールはない)、家の中で全力疾走、そして兄弟ゲンカや兄弟ゲンカ。
家が壊れるか、誰かがケガをするか、そんな可能性が高くなるので、急いで家を出ます。
向かう先は当然、公園です。
子供によって、外で遊びたい度合いは様々で、中にはそこまで外に出たがらない子もいます。
それはその子の個性なので良いと思うのですが、公園での私と夫の振る舞いに、よく『感心』されるんです。
『子供が結構激しめに転んでも笑ってる大らかさ。』
これはやっぱりディスられてるんですかね~・・・(汗)
公園での経験値だけは多いと思いますが。
そして今日は、公園で遊ぶ子供を見守る大人の話です。
【現状】
5歳長男
公園の外に出てはいけないことはわかっていて、何が危ないかも大体わかっている。
でもまだ完全ではない。公園内ではくっついて回りはしないものの、
数分に一度はどこにいて何をしているか目で探す程度。
特にお友達と遊んでいるときには調子に乗ったり、ふざけ具合が過ぎたりするので要注意。
3歳次男
少しずつ体は離せるくらいになってきたけど、まだ目は離せない。
とはいえ最低限、公園から出ないこと、は理解している模様。
長男より頻繁に、長男より近くまで行って、どこで何をしているか確認。
それこそ親それぞれなのだと思うけども、私は比較的、『子供だけの世界』を尊重したいと思っています。
なので、少々のいざこざが起きても口を出さないようにして、子供だけの中でどうやって展開して、解決(子供にとって)していくのかを見守ろうとします。
ブランコに乗りたい子と、いま乗っている子のやりとり。
滑り台の順番。
次の遊びへ移り変わるタイミングが合わない子たちのグチャグチャな感じ。
危険じゃない限り、口を挟みません。
しかし逆に、積極的に参加する親御さんも、よく目にします。
それも否定しません。
それも含めて『社会』だし、多様性だし、いろんな人がいるんです。
でもその積極的に子供の仲裁に参加する大人はたいていの場合女性で、
そこには『社会的なプレッシャー』が少なからずあるんじゃないか、とふと感じます。
自分の中にもあるので、なんとなく。
空気を読むこと
回りに気を使いすぎるくらいに使うくらいが丁度いいこと
砂場で砂をまき散らしていたら、確かに注意しますし、
人のオモチャを無断で使うことはさせませんが、
ストライダーを貸す貸さない、のいざこざや、
滑り台を下から昇っちゃいけないんだよ、とか、
そういうことに口や手を出している方を見るとき、
その動機はなんだろう、と考えると、
『女性として当然の気遣い』という暗黙のルールが浮かんだりします。
違うかな。なんとなくです。
私ひとりの、ごく限られた経験の中でしか話せませんが、
もっとも積極的に介入していると思われるのは、
高齢の女性(お祖母ちゃんかな)です。
それも『時代』なのかな~、と思ったり。
『他人様』に『迷惑』をかけることは『悪』という時代だったのかな、とか。
とはいえ、たくさんの人が同じ場所で生きていくためには気遣いや工夫、ルールが必要です。
その加減がおそらく、『時代』によって変わる、という話なのでしょう。
迷惑
おせっかい
助け合い
支え合い
お互い様
人の頭の中で起こる、微妙な『加減』の変化が、社会に現れるわけで、
『The world is your idea.』
ずいぶん昔にアメリカで聞いたフレーズが、たまに私の頭をチラチラをかすめます。
人や社会って、おもしろい。
公園では『ゆるっ』としか子供を見ていない私と夫が公園で何をしているかと言うと・・・
ふたりでバドミントン、です。
もう大人もある程度楽しまないと、公園通いが苦痛になってしまうので。
「あ、風やんだな、やろうぜ」
みたいな。
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最後までお読みいただきありがとうございます。
ひとりでできることには限りがある。