おはようございます。ワーキングマザー・サバイバルのみゆきです。
6歳と3歳の息子ふたりを育てております。
ふたりともが3歳を超え、
なんというか、
子育てのフェーズが変わってきた感があります。
まだまだお世話も大変ですが、
より一層大変になってきた、
『人間としてどうあるべきか』を教えること。
「こうしなさい!」
と教えれば済むこともありますが、
本人が考えるべきこともあるでしょうし、
それがまた、年齢に合わせて少しずつ変化しながら、
ずっと続くんだろうなと。
今後はアレが来ますよ、アレが。
反抗期
思春期
とか言われる時期。
私にも身に覚えがありますし、
仕方のないことです。
なんか特に親に対してイライラしたり、
何もかも定まらずに、
でもきっと、体や脳がすごい勢いで成長しているんでしょう。
何かにいつも振り回されているような、そんな感覚でした。
中~高校生、くらい?
多感な時期
よく言われますよね、多感な時期って。
でもその『多感』は実在するらしいです。
随分昔に読んだ本なので、何の本だか忘れてしまったんですが(←出た、またテキトー)
人は大体みんな平均して、
『多感な時期」とされる12(?)~17歳くらい(?)
に見るもの、聞くもの、触れるものに、
より多く、感情を動かされるとのこと。
同じ初めての事柄であっても、
同じ人であっても、
感じる年齢によって、
より悲しいと感じたり、
嬉しいと感じたり、
感動したり、
傷ついたり、
するそうです。
例えばなんですがね、
私よく覚えているんですが、
姉が高校生の時、
私が中学生で、
姉は当時からずっと絵や美術が好きで、
美術館へひとりで行ったりしていました。
そしてそんな姉がこう言ったんです。
「全部の絵ではないけど、
たまに絵が話しかけてくる。
だから立ち止まって、しばらくその声を聞く。」
「は?おねーちゃん、ダイジョーブ?」
と思った私は一方、
よく、好きな音楽を、ヘッドフォンで大音量で聴いて、
泣いていました。感動して。
『琴線』的なものを、自らバインバイン震わせるために、
ヘッドフォンを使っていました。
これはなんとなくの話ですが、
五感のうち、姉は『視覚=目』
私は『聴覚=耳』の人なんだろうなと。
元々それぞれ、より敏感な感覚があって、
それがより敏感だった時期が、
あの時期だったような、そんな気がします。
留学していた時代、
スペイン語やイタリア語、インドネシア語などを母語とする人たちと遊んでいて、
彼らが話す母語をよく真似していました。
「あなたは耳が良いね。」
とよく言われていました。
でもやっぱり~・・・
親としては、あの扱いにくい時期、
これから来るのかと思うと、
うーん、ちょっと面倒・・・
放っておけるわけでもなし、
構うと怒るんだろうし。
でもどなたかがTwitterで、
そういう時期の子供には、
『お供え』(ご飯)だけして、
あとは静かにしておくに限る。
と言っていたので、そうすることにします。
みんなそうなのかもしれませんが、
そのころは自意識過剰で、身の程がわからず、身の程も定まらず、
回りと比較ばかりして、
尖がっているうえにいつも不自然でギクシャクしていて、
私は割と、長い間居心地が悪いと感じていました。
若いころは、辛かった。大変だった。
楽しいこともたくさんたくさんあったけど、
上手くいかない友達も多かったし、
無駄な争いも多かった。
実際と、自意識とのバランスがとれず、苦しかった。
そんな時代をこれから息子たちも過ごすのか・・・
と思っていたら、
「そお?おれは若いころはひたすら楽しかったけど?」
と夫に言われ、
そ、そおなの!?
人それぞれなんだなと、
彼らは彼らなりに、
思うように大きくなり、生きてくれればいっか、と。
そうそう、
でもそんな時期って、
親がしてあげられることは、あんまりないんですよね~
親の言うことなんてまったく響かなかった覚えがあります。
『いつだって味方だよー!!!』
という無言のメッセージを
ビビビビビビビビビビ・・・・
と送り続けるしか・・・
いや、あとは、
カネか、
カネと一緒に、送り続けるしか、
ないんでしょうかね。
そこも、『ありたい親像』
人それぞれ。
↓をクリックいただけると、ブログランキングのポイントが入ります。
お忙しいところすみません。。
いつも応援ありがとうございます。
自分以上に頼りになる人、いますか?