おはようございます。ワーキングマザー・サバイバルのみゆきです。
5歳と3歳の息子ふたりを育てながら、共働きのお金、子育て、仕事などについて書いています。
昨年夏まで、毎年海水浴へ行っていました。
最初は鴨川、その後も鴨川へ行って、次に江の島、そしてまた鴨川へ。
最初の年こそ
「海だー!」
と興奮しましたが、
その後はなんか、
「海って、ベタベタするね。
っていうか、海、きれいじゃないね。」
とテンション下がっていました。
江の島なんて、
海はもう黒かったし、
なんか砂なんだか海藻なんだかゴミなんだかよくわからないものが
体にたくさんついて、
泳ぐところではない、と思い知りました。
そして海水浴の帰りに偶然プールの楽しさを知り、
毎週末プールへ行っていました。
でもさ、
『伊豆の下田って海がきれいって言うじゃないか。
ちょっと遠いけど行ってみたい。』
ということで、行きました。
下田の話はまた別の機会にかくかもしれませんが、
今日はその事前の話です。
もうすぐ下田!という日の朝、
起きると夫が、
「下田って遠いんだよ。
沼津から高速ないから、延々国道走るの。
4時間くらいかかるんだよ。
いまならまだ、伊豆のもっと手前に変更することもできるよ?」
私は!
下田に!
ほかのどこでもなく下田に、行きたいんじゃ!
何故と聞かれても、
行きたいもんは行きたいのじゃ。
ここから会話がねじれました。
「あなたと遠出しようと思うと、いつもそうやって
もっと近いところに近いところに、って言うから、
一緒に行きたくなっちゃうよ。」
という私のひねくれた発言に、夫がキレる。
「誰もそんなこと言ってねーだろうがよーぉっっ!
伊豆に行きたいって言ってたと思ったからそう言っただけで、
オマエが勝手に俺が行きたくないってことにしてんじゃねーよっっ!!!
じゃあオマエが自分で下田までの行き方調べろよ!!!」
私ね、
乱暴な言葉遣いに対する耐性がないと言うか、
乱暴な言い方でまくし立てられた時点で耳にフタをしてしまうタイプです。
でもそこでね、思い出したんです。
少し前ですが、
『保育園落ちた。日本〇ね。』
が話題になった時、
大勢の人がこう言いました。
『あんな品のない言い方されたら聞きたくなくなる。』
当時は私も知らなかったんですが、
これは、
『トーン・ポリシング』と呼ばれる行為です。
抑圧されている立場の人がそれに対して文句を言った時、
その言い方や、それによっておこる感情を元に、
その発言自体を拒否、さらに抑圧することです。
『保育園落ちた。』の方が言いたかったのは、
働きたいのに働けない、
子供を預けられる場所がない、
その状態はおかしいと思う。
待機児童何とかして欲しい。
ということです。
それなのに、
『〇ね、なんて言葉使われた時点で聞く気が失せる。』
『言い方が乱暴すぎる。』
とその発言自体をなかったことにするのは、
抑圧する側がしてはいけないこと、というわけです。
↑ザリガニをツンツンし続けて30分ほど。
本来、私と夫という対等な立場において、
『トーン・ポリシング』は成立しないのかもしれません。
でも私、
夫の言い方を拒絶するあまり、
彼の言い分自体を頭から拒否してしまっていると気付きました。
しばし考え、
「パパはもしかして、
移動を楽しめないのかな?
私にとっては、移動も含めて楽しい旅行なんだが、
あなたはもしや、到着からがお楽しみなのか?」
と問いかけてみました。
「・・・なるほど。
ママは移動も楽しいのか。
確かに俺は、早く着かなきゃ、といつも思っているかも。
休み休み、楽しみながら下田に行こう。」
コミュニケーションてつくづく、
知的な行為だな、と。
How to speak does matter, but what to speak does more.
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本当は不安でたまりません。