『恥ずかしい』という感覚が薄れたのは多分トシのせいではない

B!

 

おはようございます。みゆきです。

 

Japanese people are shy.

外国人はよく、そう簡単に言い表します。

留学していたときにも言われたし、

外資に勤めていたときにも。

 

昔はそれを聞くと、

 

『シャイ・・・とはちょっと違うんだよな~・・・

もう少しこう・・・複雑なんだよな~・・・』

 

と思っていました。

 

でもやっぱり結局は、

『シャイ』

なんですよね。

 

shy=恥ずかしがり屋

という訳がおそらく単純なだけで、

英語の『shy』には、日本人の血肉に染み渡っている

『恥』の文化がしっかりと含まれているのだと思います。

 

昔アメリカに留学してすぐ、

なので私が18歳だったころ。

語学学校の友達の家(ホストファミリーの家)に

遊びに行きました。

 

そのお宅の廊下にはイエスキリストの小さな絵がかかっていて、

ここにはこんな感じのことが書いてありました。

 

 

私たちは生まれながらに罪を犯していて(sin)、

ジーザスがその身を犠牲にして

罪をかぶってくださった・・・

 

 

留学するまで、英語もしゃべれなければ

アメリカの宗教のことなんて1ミリも学んだことがなかった私は、

驚いたんです。

このキリスト教の『sin』の根源的な考え方に初めて触れて、

 

いや~・・・この文化、

私の中には無いものだなと、

 

じっくりと思ったんですよ。

 

 

Japanese people are shy.

とアメリカ人が言う時、

それは、

 

全社ミーティングで

社長が最後に

 

「最後に質問のある人?」

 

と聞いても、誰も手を挙げないこと、

などを主に表していました。

 

これは、日本に根付き、我らの血肉に深く深く染み渡っている、

広い意味での『恥』の文化の為せる業です。

 

質問があるなら、後から個別に社長を訪ねたり、

部長経由で伝えてもらったり、

もしくは同僚に愚痴るだけで済ませたり。

 

日本人の行動規範のひとつでもあるこの『恥』の文化、

その対にあるのがキリスト教の『罪』の概念であると聞き、

 

なるほど~!

 

と膝を打ったこの本。

 

相変わらずおもしろいです。酒井順子氏。

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彼女の本も出る端から読むことにしているので

これまでの本は制覇していますが、

年々その道を極めておられるような、

最後まで尻尾を出さない皮肉屋というか。

 

本当に言いたいことはすごく辛辣なことだったりするのに、

巧妙に自虐や皮肉に混ぜて隠しておもしろおかしくして

最後まで煙に巻いてしまうような。

(褒めてます。)

 

やっぱ大好き。

 

 

そうそう、四十路の私がいま『恥ずかしい』と感じることはなんだろう、

と考えてみました。

 

全社ミーティングに出る機会はもう無く、

発言しないのは面倒を避けるためが主目的になった面の皮の厚さが自慢な43歳です。

 

それでもまだ残るであろう『恥』の感覚は、

そうだな・・・

知らないことを知ってるかのように言う人を見ると、

確かに『恥ずかしい』と感じ、目をそらしてしまいます。

 

だから私も、自分が知らないことは知らないと言うか、

それについては語らないことを慎重に選んでいるつもりです。

 

ツイッターでよく見る、

さも知ってるかのように的はずれなことを言う人は、

 

『お若いのかな・・・』

 

と思うことにしています。

 

知ったかぶるという素行は若さが許すものだと思うので、

そう思うことにしています。

 

そして自分自身も、特に若かりし頃、

知った顔をして偉そうな口をきいていたこと、

物凄く恥ずかしく思いますし、

思い返すと

 

あーーーーーーー!!!!!!

 

と叫びながら耳をふさぎたくなります。

 

 

そんな若かりし頃の恥を思い出させる節もある↑の本ですが、

でもやっぱりおもしろいです。

 

 

 

 

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