おはようございます。ワーキングマザー・サバイバルのみゆきです。
6歳と3歳の息子ふたりを育てています。
先日家族でキャンプに行きました。
そして次男が、頭をホチキスで縫うケガをしました。(←私たちのミス)
そんな中で思い出したこと、思い当たったことなんですが。
次男が3歳になったころから、
兄弟ふたりで遊ぶことが増えてきました。
「子供がふたりになると大変だけど、
一緒に遊んでくれるようになるからむしろラクだよ~。」
なんて言われていましたが、やっとその状態に来たのかと。
(ここまで来るのが長過ぎですが…)
キャンプなどへ出かけても、こうしてふたりでどこかへ登って行ってしまったりします。
見えないところには行かないのですが、
とはいえこの小さな崖の上の道は坂道だったりして、
3歳児には少し危ない、かもしれない。
そんな時つい長男に、
「ちゃんと次男クン見てあげてよ~。」
と言ってしまいます。
何度か実際言ったことがあり、
言った瞬間に、
次男を誰かに任せたような感覚になり、
多少安心した自分を感じました。
いやいや、違う。ダメだ。
私が任せた相手は6歳児であって、夫ではない。
それで安心はできない。
だからそもそも、任せてはいけない。
上の子に下の子を見させるということをしないと、決めています。
その場の状況にもよりますがね。
そうだな…公園で、私ひとりで息子ふたりを見ていたとして、
自分がトイレに行きたくなった時、
次男と一緒に砂場で遊ぶ長男に、
「ちょっとトイレ行ってくるから、
次男クンが公園から出たりしないようにだけ、見てて。
すぐ、すぐ帰ってくるから。」
くらいはするかな。
危険度と、『やむを得なさ』とのバランスですが。
私と姉は、4歳離れています。
私が3歳半ころ。
幼稚園の年少さんでした。
その時姉は7歳。
小学校2年生。
私はバスで幼稚園に通っていました。
家から歩いて数分の幼稚園のバス停に、
姉がひとりで迎えに来てくれることがあったそうです。
私は小さすぎて、年少さんのころのことはあまり覚えていません。
幼稚園のバス停は、何かの工場に隣接していて、
その工場では犬が飼われていました。
つながれた犬が、いつもいました。
何度も言いますが私はほとんど覚えていなくて、
迎えに来てくれた姉とふたり、
その犬に触っていたようです。
約40年前のことです。
(マジか!40年前に自分が生きていたということに驚き!!!)
ここからは姉に聞いた話。
中型犬だったその犬が、
3歳の小さな私の両肩に前足を乗せ、
顔(口の上辺り)に噛みつきました。
妹、血だらけ。
ちっちゃい妹、血だらけ。
そして、呆然。
7歳。
お姉ちゃんとはいえ、まだまだ子供です。
妹の手をつかみ、家まで全速力で走ったそうです。
「おかーさーん!!!」
血だらけの私を見て母が、
近所の人に頼んでバイクで病院に連れて行ってもらい、
その後を母がバスで追いかけ、
姉は近所の家に預けられました。
その年齢のころの兄弟姉妹って、
『大切な妹』とかではなくて、
でもやっぱり姉は、
『死んじゃう・・・』と妹が心配で、
預けられた家で出してくれたラーメンが喉を通らなかったそうです。
妹は死なずに、顔を3針縫って帰ってきましたが、
以来姉にとっては、かなりのトラウマです。
大きな犬が、小さな妹の両肩に足をかけて顔に噛みついている映像が、
今でも忘れられないと。
その現場は、姉、ただひとりしか見ていないわけです。
私の顔のケガは無事治って、
今ではほとんどわからないほどの傷跡しかありません。
3歳の幼稚園児のお迎えに、
母が来ていたとしても私は、
やっぱり犬に噛まれていたかもしれません。
そして目撃したのが母であっても、
きっと忘れられない光景になったと思います。
でもやっぱりそれは、子供に負わせるにはかわいそうすぎたと、
子供を持ってから思いました。
大人、監督責任のある親が負うべき後悔や、罪悪感、申し訳ないという気持ちであって、
上の子に与える衝撃としては大きすぎると。
そして理不尽であると。
だから私は、崖を登り始めたふたりを見て、
諦めて一緒に上に登り(別ルートから)、
ふたりが危なくないように見守りました。
上の子、下の子の年齢の進み具合次第ですが、
今はまだ、ふたりを家に残して留守番もさせません。
長男ひとりならまだしも。
私がひとりでお風呂に入る5分の間(私のお風呂は速いよ!)
ふたりで待たせることはあっても。
姉はいまだにたまに、
40を超えた妹の顔をマジマジと見ながら、
「かわいそうに~、犬に噛まれちゃってぇ・・・」
と私の頭を撫でたりします。
「ねねちゃんも、コワかったね。かわいそうに。」
↓のバナーをクリックいただけるとブログランキングのポイントが入ります。
応援クリックいただけると喜びます。
最後までお読みいただきありがとうございます。
ひとりでできることには限りがある。