これが『温室』だとは私は思わない。

B!

 

おはようございます。ワーキングマザー・サバイバルのみゆきです。

7歳と5歳の息子ふたりを育てています。

 

我が家では、子供のYoutubeは基本禁止です。

他のお子さんが見ていても別に何とも思いませんし、

Youtube自体が『悪い』とは思いません。

ただし、うちの長男との相性がすこぶる悪いのです。

 

元々時間無制限に見がちなYoutube。

時間を区切るにも大人が介入しないといけなかったので

それも面倒で、

たっぷり時間のある週末だけと決めていました。

そうしたら、土曜日の朝になると早起きしてYoutubeを見ると言い出し、

そのために早起きするのは違うと教えようとしたら泣き叫び、

その戦いを何度か経て、

 

あー!!!あ゛ー!!!めんどくせー!!!

 

と禁止にしました。

 

それ以来、なきゃないで平和です。

 

しかし唯一、長男がひとり風呂場で散髪をするときだけ、

タブレットでYoutubeを見れる時間、にしていました。

退屈な時間なので散髪を嫌がったため、餌が必要でした。

 

散髪と言ってもほんの5分10分。

少しだけいつもは見れないYoutubeを見て、

そして散髪&Youtubeを終えてお風呂から出てきた長男。

 

リビングから聞こえてくる、次男が見ているジョージの音楽。

 

テンテンテン♪テンッテン♪

テンテンテン♪テンッテン♪

きょうはな~にがっま~ってるのっ♪

ぼうけんかな♪ともだちかなっ♪

 

それを聞いた長男が、ボソリと言いました。

 

 

「なんかジョージきくと、安心する。」

小さい時からずっと見ているからね。

 

 

いまうちの子たちが見る映像コンテンツは、

私と夫が選んで録画するアニメ番組(主にEテレ)と、

アマゾンのアニメのみ。

主に私が見せたくないコンテンツは見せていません。

(ドラえもんとか)

 

私自身もテレビはほぼ見ない(見るのは海外ドラマだけ)ので

特にそう感じるとこともあるかもしれませんが、

たまに目、耳にする日本のバライティ番組、

やっぱりできるだけ見せたくないです。

 

ブスだハゲだチビだと、

いまだにまだ言うんだと、

先日たまたま目にしたバライティを見て思いました。

 

良い悪いは置いておいたとしても、

それは既にひとつの『文化』だと思います。

 

外見を『笑い』の『ネタ』にして、

言われたほうもそれを笑わなければいけないという一連の『しきたり』。

『コンプレックス』を笑いに昇華してこそ

正常であり一人前なのであるという『文化』。

 

私自身もそれを見て育ち、

その文化に浸っていた時代があったのでよくわかります。

 

でも、そうでない世界もあると知り、

そちらがえらく快適で、

『なんだ、これでいいんじゃん』と思ったんです。

 

だから子供たちには、

日本のバライティの『文化』には触れないまま、

大きくなってもらいたいと思っています。

昔、長男が年長さんのとき、

保育園の何かの行事で何かの芸人さん?歌?

よくわからないけど何かのネタを

園児たちみんなでやりますと、保育士さんに言われました。

長男を含め子供たちは喜んでいると言っていましたが、

きっと長男は本物を目にしたことはないのでなんのことかはわからないままに

みんなと楽しんでいるだけなのだろうなと思いました。

それでも十分楽しそうだったし、それでいいかなと。

 

 

そしてそれを、昔の夫は『温室』だと言いました。

 

どうせ後から触れるものを、今から制限して『温室』で育てて、

何の意味があるのかと。

(そういえば今はあまり言わない)

 

でもやっぱり私はそれは、『温室』ではないと思うのです。

 

それは『温室』ではなく、

『BETTER WORLD』だと思うのです。

 

 

私自身、私が育った環境で育ち、

そしてこれまでいろんな人に会い、本を読み、

自分にとって『そういうもの』だと思っていたことが、

すべての人にとっての『そういうもの』ではないということを知りました。

 

歯磨きや食事という生活習慣すら、

後天的に身につけなければならなかった環境に生まれた人もいて、

そういう人にとっての『そういうもの』は、

私のそれとは違います。

 

帰国子女の友人の『そういうもの』は、

また私のそれとは違います。

 

というか、同じ日本人で同じ女性で同じ年代でも、

似通った要素が多いとはいえ、

細かい話をすれば違う『そういうもの』を持って生きています。

 

そしてそのそれぞれが持つ『そういうもの』が、

その後の人生に大きく影響し、方向性すら左右すると私は思うのです。

だから私は、これからの未来を生きる息子たちに、

いまの日本のバライティの文化を『そういうもの』だと思わないままに

大きくなって欲しいと思うんです。

 

大きくなってそういう文化に触れたときに、

驚き、馴染まないと感じてくれればいいなと、

それが少数派であっても、そのほうが彼らのためだと私は思うんです。

 

そのうち息子たちが触れるコンテンツを私がコントロールできる時期は過ぎるのでしょうが、

それまでの時期がまた、彼らの『そういうもの』を形成する時期でもあると思うので、

それでいいのです。

 

知らないことを茶化さない世界も

少数派のままに生きられる世界も確実にこの世にはあるし、

彼らが馴染む水も、確実にちゃんとあると思うのです。

 

 

 

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お忙しいところすみません。。


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