おはようございます。みゆきです。
12歳と9歳の息子ふたりを育てています。
次男にピアノを教え始めました。
1年ほど前から、私が習い始めたピアノ。
昔から習いたいとずっと思っていて、やっと。
(子供のころ15年間エレクトーンを習ってたのです)
引っ越して、和室に電子ピアノを出しっぱなしにし始めて、
すぐにパッと練習できるのがとにかくよかった。
でもそうやって出しっぱなしにしておくと、
長男は見向きもしないけど、次男は頻繁にピアノを触りに来ます。
簡単な『名探偵コナン』のテーマ曲を教えると、
覚えて弾き始めました。
電子ピアノからアップライトピアノに変わっても、
やっぱり毎日のようにピアノに触るので、
『これはもしや』と思って、
ピアノ入門の子供用の楽譜をメルカリで買って教え始めると、
毎日練習し始めました。
まあ、一生できる趣味として続けばラッキー。
そもそもピアノは私の趣味で、
子供はあくまでオマケです。
しかしもうひとつオマケがついてきました。
「ちょっと俺にも教えて?」
夫が興味を持つとは思わなんだ。
楽譜の読み方。
指の使い方。
その練習の目的と意味。
●がいやに大きな幼児用の楽譜を前に、
もうすぐ50歳の夫に教えます。
「なるほど、わかった。」
ひとりで練習して、
そして私のところへ来て言いました。
「ピアノ、むず。
そんで、おもろい。」
ピアノなんて、50年の人生で1ミリも触れてこなかった夫。
子供のときにはわからなかったピアノのおもしろさが、
大人になるとわかる。
いやでもさ、大人になると、
結構なんでも『おもしろい』と感じません?
例えば私は『歴史』という教科には
学生時代あまり面白みを感じられないまま、
試験勉強としてしかやってこなかったのですが、
歴史大好きな長男に説明されると、
ナニソレ、おもろ
と思います。
若い時には一切わからなかった、興味を感じられなかったニュースも、
↓こういうのを読むとおもしろさに気づいたり。
夫とも話したんです。
ピアノも歴史も、
子供の時におもしろさに気づけていたら、
もっと楽しかったんじゃないかって。
おもしろさに気づくにも、
ある程度の知能が必要だということ?
もしくは、
子供の時に『おもしろい!』と思ったことがやっぱり、
『本当に好きなもの』だということか?
ある程度の人数の人がおもしろみを見出しているものは、
やっぱり誰がやってもおもしろい、
とも言えるか。
そんでやっぱり、
子供の『やってみたい』は無理のない範囲で応援すべきだなということ。
子供の理解力で見出すおもしろさは、
やっぱりその子の元々持って生まれた能力や個性が
表出しているということなんじゃないかな。
『げんこつやまのたぬきさん』
とか
『とんぼのめがね』
そんな曲を、
次男と夫が練習し、
私はとうとう憧れの『ノクターン』を練習中です。
これが弾けるとやっぱり、
『ピアノ弾ける』感ありますよね。
ショパンはやっぱスゲー。
「もっとここは歌わないと。」
「ここはこの音符で歌うの。」
「全体的にもっと足(ペダル)で歌うのよね。」
先生にたくさんダメ出しされて、
『歌う』の試行錯誤中です。
そして、さんざん私の『ノクターン』を聞かされた夫。
「俺もノクターン弾いてみたい。」
おお…
どんだけ時間かかるかわかんないけど、
ずっとやっていればできるんじゃないかな。
『きれいに』弾けるようになるには
何年かかるかわらんけども。
次男がピアノに見出したおもしろさ。
小さな小さな芽。
途中で枯れたり潰れたりしたところで、
次男の人生に大きな影響はないのかもしれないけど、
気長に、大事に育ったらいいな。
無理やりやらせたりはしないけど、
どこまで育つものか。
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