おはようございます。ワーキングマザー・サバイバルのみゆきです。
犬も喰わない喧嘩をまたしました。
原因も本当に些細で些細で、恥ずかしいほどなので詳細は書きましぇん!
クッソー・・・
くだらなすぎて我ながら呆れます。
原因はなんであれ、年末年始の数日間、
夫と険悪な空気のまま過ごしました。
怒りと悲しみの間を行ったり来たりという感じ。
夫も同じ感じだったのでしょう。
最終的に公園で子供たちを見守りながら和解して、
筋肉痛になるほどバドミントンをしておしまい。
そして夫と合意したのが、
次男を見習うべきだということ。
私や夫がしつこく言い聞かせているからか、
次男は特に長男にやりこめられることが多いからか、
弱音というか、不満の訴え方がとても上手になってきました。
以前読んだこれ。
感情のコントロールを学んでいる最中の子供たちに、
感情の言語化を刷り込んでいました。
「嫌だったね」
「悔しいね」
「悲しいね」
「楽しいね」
先日の休日、私が別室でひとり仕事をしていると、
リビングでパパと次男が遊ぶ声が聞こえていました。
トイレに行くために出て来た次男が、
ひとり、軽くピョンピョン飛び跳ねながら、
「たのしいっ!」
とトイレに向かって行きました。
長男に負けて悔しいとき、
ワア~ン!と泣いて、
私か夫に泣きついてきて、
「あのね!あのね!」
としどろもどろに状況を説明し、
最後は必ず、
「だから次男くん、やだった!すごくやだった!
うわ~ん!!!」
と泣きます。
楽しいとか、
嫌だったとか、
悲しいとか、
怒ってるとか。
そういうの、次男クンを見習って、
その場でお互いちゃんと言語化していかないといけないね。
夫婦で再確認しました。
その場で
「私は悲しい」
と言わないばっかりに、
誤解したり、勝手に解釈したり、
売り言葉と買い言葉が行き交ったり、
空気もピリピリしたり。
次男のように、その場で
「やだった!」とちゃんと泣いて、
感情の行き先を作って、
場を収集することを実践すべきなんですよね。
大人になるとなぜでしょうか。
悲しみが大きいと言葉が出てきません。
子供のように「うわ~ん」と泣けたらいいのに、
悲しみが口を塞いでしまうような。
『私は悲しい』
『私は嫌だ』
いわゆる『アイ・メッセージ』というやつは、
相手が反論できないものです。
「あなたはひどい人だ!」
と言えば、
「お前だって!」
「もっとひどいことされている人もいる!」
「ひどくない!普通だ!」
といくらでも反論の余地があります。
でも、
「私は悲しい。」
と言われたら、
「いや、悲しくない。」
とは反論できません。
悲しいと感じるかどうかは、その人にしか決められないことです。
だから、『私は悲しい』をそのままの状態で、
相手に伝えることができるわけです。
会話は、どんだけくだらなくてもやっぱりキャッチボールです。
どちらかがボールを持っていて、
投げ返すまでボールは手の中にあります。
そして持ちにくいボールは、人はすぐにでも投げ返してしまいたくなるんですよね。
だから思ってもいないひどいことや、
辻褄の合わないことを言ってしまったりします。
「あなたはひどい人だ!」
みたいなメッセージは
ゴムボールのようにポンポンと跳ね返って、
色んな人を傷つけたりします。
その点、『私は悲しい』というボールは、
弾まず、つかめもしない、水蒸気のようなボール、
でしょうか。
人の悩みの殆どは人間関係で、
人の喜びも殆どは人間関係で、
ふ~・・・20201年です。
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いつも応援いただき、本当にありがとうございます。
本当は不安でたまりません。