おはようございます。ワーキングマザー・サバイバルのみゆきです。
随分前に図書館で予約していた本が届き、読みました。
ちなみに対となるこちらはまだ予約中。
毎日脳内をこのブログに垂れ流している私には、
インプットとアウトプットの感じはなんとなくよくわかり、
ふむふむと読みました。
アウトプットはしんどいですが、続けると癖になります。
特に本を読んだ直後にその本のことを書くと良いと書いてあったので
それを実践している次第なのですが、
でも読みながら私はずっと、
違うことを考えていたんです。
この本はそもそも、
インプット→アウトプット
を繰り返し習慣化することで人は進歩、成長できるのだ、
と説いています。
著者自身も、毎日のアウトプットを習慣化していて、
そのためのインプットを効率よく行いましょうと、
そういう本です。
読みながら私が考えていたのは、
いやでもさ、人ってずっと成長し続けなければいけないの?
本を読んだり、
テレビを見たり、
スマホを見たり、
インプットをしていない人はいないと思います。
でも、アウトプットをあまりしない人は多いと思います。
そしてそれの、どこがいけないのか、と。
やっぱダラダラしたいじゃん?
私はたまたま文章を書くことが好きなので
脳内垂れ流し装置として本ブログを持つ人ですが、
書くことが好きじゃない場合のアウトプットって
話す、描く、踊る、奏でる、歌う、作る?
それはきっともう1冊の『アウトプット大全』に書いてあるんでしょうけど、
人ってそもそも、個としてそんなに進歩していないといけないのかな~・・・
でもおそらく、私個人としては、
自分が何か『進歩』したとき、
その進歩を自分の中で振り返るとすごく『快感』ではあります。
何かが脳で分泌されている感じがします。
でも同時に、ダラダラと海外ドラマを見て、
ネコと遊び、小説を読んで感動して、
日向ぼっこをして、ゲームして、
という時間の過ごし方もまた甘美です。
でもどちらかだけだと、なんか違う気がする。
ずっと毎日何かを成し遂げていたいわけじゃないし、
ずっと毎日猫と遊んでいたいわけじゃない。
人は状態を生きるのではなく、変化を生きる生き物である。
私はただ、貪欲に幸せになりたいと思うのです。
『幸福感』を感じたいと、思うのです。
これは理由もなく私の中に湧き出る欲求です。
そしてその『幸福感』とは、状態ではなく『感情』であり、
感情とは一時のものであり、
その一過性の感情である幸福感を、できるだけ頻繁に数多く体感できると、
比較的幸せなのだと、そんなのを読みました。
そして人が『幸福感』を感じる時、
そこには必ず『変化』があるのだって。
家族4人でリビングに寝転がって
何かくだらないことでキャッキャと笑い、
みんながいい気分の時、
「なんか幸せ。」と感じるのは、
『満足』や『充足感』という気分であって、
『幸福感』という感情ではないという、
これまた長くなりそうなテーマですがこれは一旦置いておいて、
私が感じた『幸福感』は例えば、
たったひとりで始めたオンラインショップが、
楽天という日本人なら誰でも知っているような企業の人の目に留まり、
声を掛けられ出店して、
チャラ~ン
と自分のお店が楽天内にできたのを見た時、
『「裸のサル」の幸福論』が言うところの
『標的の幸福』という種類の幸福感を感じました。
これは、身の丈に合った目標に向けて、
変化しながら達成をすることで得られる幸福の種類だとか。
いずれにしても、この「裸のサル」・・・曰く、
幸福の全ては、
『良い状態』ではなく『良くなっている状態』だと。
それならつまり、
幸福でいたいなら、
『少しずつ良くなっている』という状態をできる限り続ける必要があります。
だったら私は、この冒頭の
INPUT→OUTPUTの連鎖を繰り返して、
人として成長しちゃう?
ガツガツしちゃう?
という感じ、でしょうか。
とはいえ、毎日週7日ガツガツもしていられないので、
週2日くらいのバランスで
ネコと遊んだり、ボーッと受動的にテレビを見たり、
本を読んだままOUTPUTせずにいたり、
していきたいと思います。
だからブログも、5日間で7記事書く、
というバランスです。
もう年だもんでね~
夜も起きていられなくて、すぐ眠くなっちゃうんですよ・・・
じゃ、また明日。
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お忙しいところすみません。。
いつも応援ありがとうございます。
自分以上に頼りになる人、いますか?