おはようございます。ワーキングマザー・サバイバルのみゆきです。
7歳と5歳の息子ふたりを育てています。
大きくなりました。
イッチョマエの口をきき、
悪ぶり、強がり、
たまに泣いて私の胸で泣き、
抱っこをせがむ年齢。
むっちゃかわいい。
しかし年々、とにもかくにも、
夫の言動を真似るようになってきました。
「こーら!やーめーろー!
やめろっていってんだろぉぉぉ!!!」
長男次男のふたりでお風呂に入っている時、
お風呂の中から聞こえてくる、長男が次男を叱る声。
口調、使う言葉、声のトーンやボリューム。
パパそっくり。
夫には、再三言っています。
「本当に真似してるからね。
気をつけてください。」
「はい・・・」
息子たちが男親の背中を追うのは、
社会がそう仕向けているのではと、
思う時もあります。
別に私の口調を真似したって良いはずなのに、
あまり真似しません。
ほとんどテレビを見ない私。
私の情報源は主にネットや本です。
Twitterで氷川きよしクンの変貌を見ました。
昔は、好青年王子様的存在でおばさま達の心を捉えていたはず。
それが、いつだったかの紅白あたりから、
イメージを一変させました。
その映像を見た瞬間、私の脳は、
「どっち?」
と、彼をどこに定義するのかと問いました。
男になりたいのか、女になりたいのか。
男をひきつけたいのか、女をひきつけたいのか。
極端な話、ゲイなのかどうか、とか。
そこでふと我に返って、
そんなもん、どっちでもいいんだよなと。
男とか女とか、ゲイとかヘテロとか、
そんなもん本来、どうだっていいんですよ。
氷川きよしクンは氷川きよしクンであって、
彼は彼の好きなようにすればいいし、
それを見た人が好きとか好きじゃないとか、
そう思えばいいだけなんです。
例えば氷川きよしクンがゲイだったとして、
・・・で???
ということなんですよ。
ゲイなら好きになる?
ゲイなら好きにならない?
ゲイじゃなければ好きだと公言する?
ゲイなら好きだと公言する?
私たちはいつもいつも、相手をどのボックスに入れるか、
それを探してしまう社会的な生き物なんです。
多様性が過ぎる姉の友人たちも同じです。
言葉も肌の色も出身地もバラバラな彼ら、
いつもいつもどこへ行っても、
どこの出身で、何人なのかと聞かれると、
諦めたような口調で文句を言っているそうです。
私が仮にアメリカ人だとあなたが知ったところで、
それに一体どんな意味があるのか。
金髪で青い目をしたアメリカ人と、
金髪青い目をした中国人で、
その態度を変えるのか。
ゲイのアメリカ人と、
ヘテロセクシャルの韓国人で、
その態度を変えるのか。
どの箱に分類するかで、その態度を変えるというのか。
その習性が人の脳に備わったものなのか、
社会的なものなのか、それはどちらかはわからないけど、
とはいえ私だって、
いつもいつも箱を探してしまう自分に気づくのです。
でも、今の私達にそういう習性があり、
それをすべきではないと頭でわかってさえいれば、
気づいて立ち止まって、
フィルターを外して、
笑顔で手を差し出すことができます。
既に分類箱は、無数にあり、
箱に分けて分類することには意味はないことも、
わかっている私達。
私は私で、あなたはあなた。
ただ、ただただ、それだけ。
それを子供たちの前でも、
実践していきたいなと、思いました。
私のことは積極的に真似しない息子たちですが、
私は既に彼らの【環境】の一部。
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いつも応援いただき、本当にありがとうございます。
本当は不安でたまりません。