節分の豆まきに思う 分業と効率

B!

 

おはようございます。ワーキングマザー・サバイバルのみゆきです。

6歳と4歳の息子ふたりを育てています。

 

節分でしたね。

例年通り、保育園に鬼が来てくれて、

子供たちはボールを投げて追い払ったそうです。

 

たまたまなんですが節分の日の朝、

次男が頭を切ってしまい、朝病院へ行きました。

 

病院で処置してもらい、その足で保育園へ送り届けると、

ちょうど鬼を追い払った直後だったようです。

 

幼児クラスの教室は騒然としていて、

泣いてる子がたくさんいて、

いつもより熱気がこもっていて、

赤い興奮した顔をした長男が寄ってきました。

 

6歳の長男はもう泣いてはいませんでしたが、

とはいえ明らかに興奮しています。

 

泣いている子を抱っこしてなだめる先生、

子供たちを移動させる先生、

数人の先生たちが立ちまわっていました。

 

出口から出て行こうとするところで、

園長先生と鬼たちに遭遇。

なかなかのクオリティでした。

 

全身タイツで覆われていて、

鬼のパンツを履いている、

誰だかわからない体の大きな男性たちでした。

肉付きから見て、おそらく中年男性。

 

保育園の先生に中年の男性はいないので、

先生ではないのでしょう。保護者?

 

身をかがめて、子供たちに見えないように、

控室へと移動されていました。

 

いや~・・・ありがたい!

これに尽きるというか。

私、こういうの家でやってあげられない人なんですよ。

面倒くさがりで、伝統とかよくわからなくて、

ズボラで、いい加減な子育てしてます。

 

でもいつもいつも、子供たちは保育園で季節の行事を経験させてもらっています。

 

ありがたや~、ありがたや。

この節分の豆まき、

各家庭でこのクオリティでやろうと思ったら、

結構な労力ですよ。

 

鬼役をパパかママがやるとしても、

こんなに子供が興奮するまでできませんよ。

 

「パパだぁ~」

なんつってなぁなぁになるんですよ、きっと。

 

『分業』の賜物だなと、思うわけです。

道路を作ってくれる人

野菜を作ってくれる人

服を作ってくれる人

車を

スマホを

パソコンを

自転車を作ってくれる人

 

細かく分業しているから、

それぞれがこんなクオリティになるわけで、

自分で野菜を作るとなったら、

白菜ばかり食べることになったりするわけです。

 

もしくは、

パンツと靴下はなぜか同じ工場で作らなければいけないとなったら、

パンツと靴下のクオリティは落ちるでしょう。

 

社会も物も、

『分業』なくして高質化も、効率化もなされないわけです。

 

6歳以降の子供のお勉強も、

個々の家庭で教えていたら、親は大人の分業を担えません。

だから小学校があり、中学校があり、

子供をひと箇所に集めてお勉強を教えるわけです。

 

生まれてから小学校までの約6年間。

その間の子育ても、私としては『分業』して欲しいし、

既にしています。

 

子供の保育、教育を分業して、

その部分をプロとして担ってくれる人がいて、

私は私の、

夫は夫の分業があります。

 

もちろん、全部が全部『分業』できるわけではないので、

子育てや子供の教育で、

個々の家庭が担う部分というのも、

一定量存在するのだと思いますが。

 

でも我が家の場合、お任せできるところはどんどんお任せしたいです。

そしてもちろん、自分でやりたい方はやりたいだけやったらいい。

 

『赤ちゃんのお世話を分業』

と聞いて、

なんか心に生じる『抵抗』は、

やはり『3歳児神話』のなせる業なんでしょうか。

 

0歳と3歳と、

親以外が子供をまとめて半日お世話するのと、

1(2?)対1(2、3?)で終日お世話するのと、

何がどう違うのか。

 

クオリティ?

それで言うなら、赤ちゃんだけを何年もお世話し続けてきた人と、

ひとりやふたり育てただけの親と、

『質』で言うと経験者のほうが上になったり?しませんかね。

 

『3歳の境目』

 

明確なデータや検証を持って言語化できる人はいないのに、

やっぱりなんとなくある、

『3歳の境目』

 

社会的刷り込みって、怖いわあ・・・

 

何度も言いますが当然、

四六時中預けっぱなしにするわけではないので、

家庭での時間もあるという想定です。

そしてこれも何度も言いますが、

何歳までであろうが、自分でお世話したい人はそれでいいんですよ。

 

親が働くために保育園に子供を預ける

と言うけども、

小学校になると、

親が働くためではなくて、

子供の教育のため?

 

あれ???

いま自分が持っている、

『自分の価値観』て実際のところ、

どこから来ているかと考えると、

以外にあやふやというか曖昧というか、

頼りないものだなと、思います。

 

豆まきを逃した次男。

どこかで鬼に襲われるんじゃないかとビクビクしています。

 

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