おはようございます。みゆきです。
11歳と9歳の息子ふたりを育てています。
『モヤッ』と感じたら、その『モヤッ』を分析することにしています。
だって大体の場合、
自分の『モヤッ』の中にこそ、
真実があるから。
自分の心は意外に、わかりにくい時があるから。
その時もふと、
『モヤッ』としたんです。
彼女を初めて知ったのは、
テレビだったか、ウェブの記事だったか。
ふと反射的に、彼女に対してネガティブな感情が浮かんで、
それに気づいて、
『なぜだろう?』
と分析してみたら、
やっぱり私は、彼女に嫉妬していたのだと、
そういうシンプルな話だったのだと、
すんなり気づいた次第です。
要は、羨ましかったのよね。
それによって、
自分の本心を知ったというか、
自分が欲しかったものを改めて、
突き付けられたというか。
例えば、
私は昔、なにかの本で読んで、
なんとなくこう思ったんですよね。
『死ぬまでに一度は、生でオーロラを見てみたいなー』
私はこれを、自分の本心だとずっと思ってきました。
そして多分、別に嘘でもなんでもなく、
本心ではあるのです。
でもね、
ずっと見たかったオーロラを見に行った人の話をテレビで見ても、
『いいなー』
とは思えど、
嫉妬心はピクリとも湧きません。
自分では本当にそう思ったつもりなのに、
それはただの条件反射であって、
本当にわざわざアラスカまで行ってオーロラを見たいかというと、
そこまでじゃない。
でも、この人。
ものすんごく、嫉妬しました。
50歳で退社して、
いわゆる『悠々自適』の生活。
それも、一見『地味』なのだけど、
シンプルで、質素で、
でも、いやだからこそ、
どこまでも『自由』なのです。
電化製品を全部手放すほどに、
やりすぎとも思える節電生活で、
とにかく彼女の生活は極限までシンプルで、
その中で、
ものすんごく幸せそうな彼女が、
・・・キーッ・・・!!!
無性に『ムカつく』のです(笑)
要は、いちばん羨ましい。
『羨ましい』と、開口一番に口にできないくらいに、
ものすごく羨ましいのです。
何を最も羨ましいと思うかは人それぞれですね。
当初、彼女を快く思わない自分に気づいて、
しばらく考えないようにしていたけど、
諦めて考えたら、
案の定それが嫉妬であるとすぐに気づいて、
諦めて彼女の本を読み始めたら、
ピアノまで弾き始めていて、
ますます、
・・・クッソー・・・!
腹立つ!!!(笑)
しかも、毎日2時間は練習しているなんて書いてあって、
ワナワナと手を震わせながら(これは嘘)
読んでいるのです。
いやもはや、ムカつき過ぎて清々しい。
当初の私の彼女に対する嫌悪感はやっぱり正解で、
読めば読むほど、
私は彼女の生活が羨ましくてたまらないのです。
例えば、
悠々自適に旅行して回ったり、
美魔女と呼ばれる美しい容貌だったり、
おしゃれなおうちでお菓子を焼いたり、
『いいなー』と羨ましがられる典型のような人を、
私も『いいなー』と思ったこともあったけど、
正直興味が持てなくて、
じゃあ私はどうしたいのかなーと、
思ったりもしたのです。
でもこうして、
嫉妬心から気に食わない人が登場してくれると、
私が真にほしいものがわかるというか。
多くを欲しがると、その分だけ自由を失うのです。
多分私は既に、欲しいものはもう持っていて、
後は、手放すもの、なのかな。
彼女のように家電を手放すかどうかはわからないけど、
もっともっとシンプルに暮らしたいな。
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いつも応援いただき、本当にありがとうございます。
本当は不安でたまりません。