こんにちは。ワーキングマザー・サバイバルのみゆきです。
次男の出産は、緊急帝王切開でした。
陣痛が来ると赤ちゃんの心拍が下がる、
赤ちゃんの首にへその緒が巻き付いている可能性がある、
ということで、寝ながら自分で同意書にサインし、緊急手術となりました。
(夫はちょうど、長男を保育園に送っている時間でした)
取り上げられた次男の首にはやはりへその緒が巻き付いていましたが、
無事に生まれました。
お腹を切られた私は、24時間安静ということで寝たきりに。
その間全く動けないからという理由で、脚の血流を妨げないようにと、
医療用の白い分厚いメディキュットみたいな着圧タイツを履かされ、
更に自動で定期的に空気が入って脚を圧迫する装置を脚に巻きつけられました。
これまた実に、うっとおいしいことこの上ないものでした。
暑いし、きついし、気になって寝れないし。
壮絶な傷の痛みと、寝返りが出来ないことによる腰痛や脚の痛みと、
装置のうっとおしさで、予想以上のストレス具合でした。
しかし2日目には歩かされ、前かがみで足を引きずりトイレに行き、
『自分でトイレに行ける幸せ』にため息が出ました。
暑苦しいタイツも脱ぎ捨て、次男のお世話に着手し始めます。
次男を産んだ病院には、授乳室がありました。
そこには出産を終えたばかりの、さまざまな年齢のスッピンの女性がたくさん。
中にひとり、助産師さんに脚を見せている女性が。
漏れ聞こえてくる会話では、
脚の血流が滞る症状が出て、脚の血管にこぶのようなものが出来ていると。
治療するほどのものではないが痛みがあるので、症状を和らげるために
医療用の着圧タイツが欲しい。でも、病棟の売店では売り切れていると。
なんと?
着圧タイツ?
私の病室には、脱ぎ捨てられたメディキュットがありますぞ。
そしてあんな白いサポーターみたいなやつ二度と履かないので、
絶対捨てますぞ。
私の場合は、『手術』という医療行為の中でのメディキュットだったため、
治療の一環として自動的に与えられましたが、
特に治療を必要としない彼女の場合、『自分で買ってね』ということなんですね。
腹筋を切られたために脚があがらない状態で、脚をひきずりヨロヨロとその彼女へにじり寄り、
「あの~…ご迷惑だったら申し訳ないんですが…」
と、私のメディキュットをお譲りすることを申し出てみました。
帝王切開だったので治療の一環で与えられたこと、
私はどうせ捨ててしまうものであること、
丸1日履いていたので洗って使っていただきたいこと、
使い終わったら処分いただいて結構だということ、
をお伝えしたところ、『ぜひ!』ということだったので、
きちゃない状態で申し訳ないが…とお譲りしました。
後日入院中、彼女からお礼の簡単なお菓子をいただき恐縮しましたが、
とにかく困っていた誰かの力になれたことが嬉しかったです。
病気でも災害でも、事故でも、
高いストレスを与えられた人には、
他の人を助けたい、という欲求が湧くんだそうです。
もっとも苦しんだ人が、もっとも人を助ける。
これは実際の災害地などにも見られることだし、
実験で唾液のストレスホルモンを調べることでもわかっているそうです。
人は高いストレスを経験すると、他の人と絆を築きたがるんです。
つまり、
優しい人は、つらい経験をした人。
人は~悲しみが~多い~ほ~ど~♪
人には~やさしく~できるの~だか~ら~♪
これは、科学的に立証された真実だということ。
生きていれば必ず、何らかのつらいこと、大変なことが必ず起こります。
大切な人を失うこと、傷つけられること、身の危険を感じること…
それはどうしたって、避けては通れないこと。
そういう意味で、人生の中の大変な経験のことを、
心理学では【コモン・ヒューマニティ -Common Humanity-】と呼ぶそうです。
【人類共通のこと】のような意味でしょうか。
そんな避けられないつらい経験を経て、
人は本来回りの人とのつながりを強め、絆を築き、
人の痛みがわかる優しい大人になるんですね。
私がいままで経験したこともないような、大きなストレス。
例えばパートナーや子供を亡くすという経験をした人が
そのつらい経験から立ち直り、また生きる希望を見出すためには、
他の誰かを助ける、という行為がもっとも効果的だそうです。
別の話ですが、
『チャリティが、最高』
という話を聞きました。
人は、他の人の『ありがとう』によって、
もっとも幸福度が高く、意義のある人生を送れると感じる、
骨の髄まで社会的な生物だと。
これらの話も、知っているだけで、
ストレスやつらい経験をより効率的にポジティブな力に変えることができるそうです。
私は、ストレスによってより強く、優しくなる、
なーんて、ストレスの渦中にいるときに思うことは
とても難しいことなんですが、
頭の片隅の、また隅にでも置いておくだけで、
QOLはまったく違うのだぞ、という本でした。
少なくとも私は、もっともっと優しくならなければいけないと、
思うんです。
迷惑だったら「ごめんね」と言えばいいだけのこと。
助けを必要とする人がいないか、目を光らせているのであります。
あ、いちばん近くにいる夫にも、もっと優しくしなきゃ、と
思うときも、たまにあるのです。
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お忙しいところすみません。。
いつも応援ありがとうございます。
自分以上に頼りになる人、いますか?