こんにちは。ワーキングマザー・サバイバルのみゆきです。
退職した会社は、ひとりひとつの電話番号を持つタイプの会社で、
ひとりひとつのスマホを貸与されていて、固定電話はなく、スマホが会社の電話でした。
なのでみんな、スマホを2台持ちしている状態。
外で仕事をする場合には、会社のスマホでテザリングをして
パソコンでメールやネットをしていました。
とても、便利でした。
営業なので社外にいることが多く、スマホが貸与されるまでは、どうしたってプライベートのスマホを多少でも使う必要がありました。
会社のスマホさえあれば、どこにいても会社にいるのとほぼ同じ状態で仕事ができました。
社内のネットワークにも、VPNを使って外から入れました。
とてもとても、便利でした。
しかし、その【反面】が、年々大きく、重荷に感じ始めていました。
何時であろうと、【ダメ元】で鳴る
定時以降は、電話にはほぼ出ませんでした。
出れるタイミングでも、そばには子供らがいるわけで、やっぱり出ませんでした。
『この電話を今逃したところで死ぬわけではなし』
と図太く考えていました。
しかしそれでも、急いでいる相手は【ダメ元】でも電話を鳴らしていました。
その心理的プレッシャーは少なからずありました。
そしてそれが、だんだん重く、辛い負担に思えてきました。
『いつでもどこでも仕事できる』は、『いつでもどこでも追いかけられる』ということ
発熱の連絡で会社を早退するとき、お休みするとき、
子供以外の理由で会社を休むときも、
社内のメール連絡で
『何かあれば携帯にお電話ください。』
と書くことが、免罪符というか、慣習のようになっていました。
それは何も、ワーキングマザーだけではなく、それ以外の社員も、
特に営業は、いつもいつも、
『何かあれば携帯に電話ください。』
決まり文句というか、これさえ入れておけば嫌な顔はされない、というか、
単に結びの言葉というか。
そして実際、『何か』あったときには電話がくるわけですが、
その『何か』が、仕事を休んでいる人に電話をする程度の物なのか、
というのは、電話をする側の判断なので、受ける側としては
『それはいまじゃなくても…』っていうこともありました。
それも含めての、『何かあれば…』でした。
電話だけじゃなくメールもね
会社のスマホで、会社のメール、会社のスケジュールがすべて見れました。
テキストだけのメールなら、スマホで、会社のメールアドレスから、
あたかもパソコンで仕事しているようにメールを送ることも可能でした。
ファイルを添付したりはできないし、
長いメールを打ったり、というのはもちろんすごくやりにくいんですが、
会社にいなくても、緊急の対応がスマホ1台でできました。
何度も言いますが、すごくすごく、便利でした。
でも、すごくすごく、負担であり、プレッシャーでもありました。
休みの日でも、なんとなく持ち歩いてしまいましたし、
急ぎの仕事を保育園に向かう道中で片付けたことも何度もありました。
労働者の生産性を上げる、という意味ではやはり、テクノロジーには即効性があります。
しかしそれは同時に、仕事とプライベートの境目を曖昧にすることでもあったような、気がします。
あの会社のスマホがカバンに入っている限り、
私の手元にある限り、私はなんなら、24時間365日、
小さいけど無視はできないプレッシャーを携帯していました。
痛いわけじゃないけど、常に違和感は感じる、指のささくれのようでした。
私のとってそれは、【サラリーマンとして働くこと】の一部でした。
あの会社で営業として働く限り、受け入れる必要のあること、のひとつでした。
産休に入ったときにも実感しましたし、
まして今回退職をしてやっと、
その【便利さ】から自由になれました。
代わりに負った負担はもっと大きいのかもしれませんが。
いまの私が常に気にしなければいけないのは、
保育園からの連絡、夫からの事務連絡、のみになりました。
つくづく私、【自由】を求めているのだな、と実感します。
ないものねだりなのかもしれませんが、たとえそうだったとしても、
とにかく私は、自由でいたい、
強くそう願うタイプの人間なのだと、
自分の心を覗くたびに気づきます。
私が死んだとき、お葬式で息子らになんと言われたいか。
「自由な人だったよね」
あなたは、あなたのお葬式で、子供たちに、
どんな人だったと、言われたいですか?
実はそれが、いまあなたがしたいこと、という本を読んだことがあります。
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お忙しいところすみません。。
いつも応援ありがとうございます。
自分以上に頼りになる人、いますか?