まだ弱き小さな人として守ることと、一人前の心を尊ぶこと

 

おはようございます。みゆきです。

7歳と5歳の息子ふたりを育てています。

 

先日書きました、次男の逆上がり。

 

保育園でもしこたま褒められておだてられてホクホクしておりました。

なんか、バランス的にあんな小さな体が

逆上がりをする画というのがなんか面白くて、

なんというか何度も見たくなるのですよ。

 

だからつい言ってしまうんです。

 

「もう1回やって?」

 

我が子が、できなかったことをできるようになり、

しかもそれがなかなかできないことだったりすると、

何度も見たくなるのは親として仕方ない衝動です。

 

もう、何度でも見たい。

でも何度目かに次男が、もう応じなくなりました。

 

そういえば・・・

子供のころ、私もこういうことあったなって。

 

それは逆上がりだったりエレクトーンだったり、

側転だったりしたような気がしますが、

 

「もう1回見せて。」

 

親に何度も言われて途中で嫌気がさしたこと、

思い出しました。

 

いや、もちろんね、

嫌がるのを何度もやらせれば別ですが、

一度嫌がられて気が付いてやめればそれでいいとも思います。

『親心』も自制がきけば、無害だとも思います。

 

 

昔見かけた、プールでの見知らぬ親子のひとコマ。

 

なんてことない風景でした。

 

流れるプールで親子たち、カップルたち、友達たちが流されていますよね。

近くにいた見ず知らずの親子。

 

おそらく6歳ころの女の子とパパ。

 

浮き輪に乗った女の子がパパに言いました。

 

「またくるってやって!」

 

浮き輪の穴の中にお尻を入れて浮かんでいました。

くるっと水の上で左右に回る遊びをしていたんでしょう。

 

そしてパパは、別の方向にクルッとやりました。

女の子が頭から水に落ちる方向に、

浮き輪をクルッとひっくり返しました。

 

女の子は慌てて水から起き上がり、

それを見て笑うパパ。

 

その時の女の子の目が、

「わかる、その気持ちわかるわ~・・・」

という目でした。

 

もう二度と彼女は、パパに「くるっとやって」と言わないんだろうなと、

思いました。

 

 

子供が顔に水がかかって慌てる様って、

すごくかわいいんですよね、わかる、その気持ちもすごくわかる。

ついやりたくなります。

正直赤ちゃんの時に一度はやったと思います。

 

でも、その本気で慌てる様を見てやめました。

 

人が真面目に慌てる様を見て笑うという文化は、

やっぱ違ったなと。

もちろんね、いろんな状況があり、

子供本人もそのスリルを楽しんでいるならいい、ということもあるかもしれません。

水の掛け合いっこなら、みんなが楽しいならいいかもしれません。

 

その時々ですがね。

 

未熟な子供の未熟な心の部分と、

そして同時に、大人と同じ大きさを持つ心の部分とがあるのではと、

思うようにしています。

 

何か『良い』かはわからないけど、

子供のころの私はそんな風に扱ってほしかった、

ような気がするので。

 

 

子供の言い間違いなんか、

もうかわいくてかわいくて大笑いしたいのですが、

いつも頑張って笑わずに正解を教えてあげることにしています。

 

次男が『天下一品』を

 

「てんぴかっぴっぴん?」

 

と言った時にはとても大変でした。

 

でも頑張って鼻の穴だけでその笑いを吸収し、

一緒に「てんかいっぴん、てんかいっぴん」と練習しました。

 

『自分は子供の時こうしてほしかった』

それをしてもらっている世代の子供たちは、

どんな大人になるんでしょうか。

 

楽しみです。

 

 

 

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