おはようございます。ワーキングマザー・サバイバルのみゆきです。
7歳と4歳の息子ふたりを育てています。
子供を育ててみると、
自分の価値観が投影され、具現化されるような気がします。
それは大体、夫を見るのがいちばんわかりやすいです。
夫にすると、私にそれを見るのだと思います。
子供が
「〇〇が好き」「〇〇やってみたい」
そう言うと夫はいつも、
それを題材にしたアニメを探します。
そしてことあるごとにゲームの話題に触れます。
私にするとそんなこと思いつきもしないので、
夫にとってアニメやゲームはすごく身近なもので、
彼の子供時代にとって大きな存在だったのでしょう。
「バスケットやってみたい。」
長男がそう言った時、
夫がバスケのアニメを探した時、
私はバスケットボールを買うことや、
実際にやる場所のことを考えました。
スポーツは私にとっては
見るものではなく『やるもの』で、
私の子供&学生時代、スポーツが大きな存在だったのだと思います。
それはどちらでもいいことなんですが、
ことゲームについては、やはりおいそれと賛成するわけにはいきません。
ゲームは人の脳の働きや心理をうまく使い、
誰がやってもある程度夢中になる仕組みです。
大人がやったって長い時間を使ってしまうものを、
経験値の少ない子供に与えればどうなるか、誰にでもわかります。
『ゲーム×子供』の『問題』は書かなくてもわかりますよね。
生活習慣ややらなければいけないことと、住み分けること、
わざわざ『面倒』を買うようなものだと、私は思ってしまいます。
時間を決めて遊ぶとしても、
守らせるこちらの手間がかかります。
でも夫にとってゲームは今でも大好きなもの。
夫が買い与えるなら好きにすればいいと思いますが、
やっぱり私は好きになれません。
今日はその理由について。
やっぱり、ゲームが確固たる『答え』と『限界』が決まっているものだから。
現実世界には確固たる『答え』も『限界』もないことばかりで、
そんな中をいかに幸福に生きるか、
それが『生きる』ということだから、
ゲームで時間を無駄にして、
他のことができる時間を使って欲しくないから。
最終的には、表層をなぞるような生き方をして欲しくないから。
夫の言い分としては、
人生はそもそも『壮大な暇つぶし』で、
何でもかんでも私のように難しく考えることはない。
ゲームで時間を無駄にして、純粋に楽しむことだって別に悪いことじゃない。
でも私は子供達には、夫のようになんでも簡単に片づけようとしてほしくない。
簡単に答えが出たような気になるその先に、本当に見えるものがある・・・
・・・
なーんていろいろ思うものの、
結局は私も夫も、
今の自分にある程度満足している幸せ者なんでしょう。
今の自分が生きやすく、心地よくければ、
それはそれでオッケーなんです、多分。
偉そうなことを言う私だって、
ゲームをほとんどしてこなかった私だって、
30歳、35歳ころまでは、なんでもかんでも簡単に答えが出ると思っていました。
誰にも迷惑かけずに生きることも、
誰にも嫌われずに生きることも、
誰からも尊敬されて生きることも不可能です。
答えのない問いをずっと持ち続けることが知性だと思います。
かと言って、知的に生きることが必ずしも正解というわけでもない。
・・・なんて難しいことを考えている時点で、
夫にとってはうっとおしいというか、
無駄というか、徒労というか、
そんな感じに思えるんだろうな、と思います。
私は親にゲームを買ってもらえず、
本ばかり読んで過ごし、思う存分勉強して、
それに今満足していて、親にありがたいと思っていて、
夫は反対にゲームを買ってもらって、
小学生のうちから徹夜でゲームをして、
それに同じように満足して、それを肯定して生きているわけなのです。
結論としては、
私はやっぱりゲームを好きになることはできないし、
いくら子供にねだられても買いません。
お年玉などの彼らのお金で買うことも許しません。
ゲーム以外のコンテンツが無数にあふれるいまの時代、
ゲームをしないというだけで仲間外れになることはないと思います。
買った後の規制が面倒すぎてどうしても嫌です。
でも、夫が買うならそれを止めることはできないし、
好きにすればいいと思います。
でも、ゲームが彼らの生活を乱すことがあれば、
夫のせいだと咎めもすると思います。
「なんとかしろ。」と夫に丸投げすると思います。
でももしかしたら、それくらいがちょうどいいのかもしれません。
多分いずれ、夫が我慢できなくて買うと思います。
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お忙しいところすみません。。
いつも応援ありがとうございます。
自分以上に頼りになる人、いますか?