おはようございます。ワーキングマザー・サバイバルのみゆきです。
6歳と4歳の息子ふたりを育てています。
長男が小学生になり、
ランドセルを始め、筆箱や鉛筆など、
小学生用品一式を揃えました。
正確には、夫が揃えてくれました。
そして夫が当然のように鉛筆削りも買い、
自分の子供時代を思い出しました。
鉛筆削りを、買ってもらえませんでした。
最終的には買ってもらえましたが、
いつだったかな、私が小学校3年生とかだったか。
つまり姉は中学生だったのか?
もうね、意味が分かりませんでした。
主に父が、そして母がそれに賛同する形だったんですが、
ナイフでちゃんと削れるようになるまでは、
鉛筆削りを使ってはいけない、
そういうことでした。
最初は小さかったので、
「ふむふむ、そういうものか。」
とナイフで削る練習をします。
しかしだんだんと学校へ行き社会を知り、
なんで???は???意味わかんないんですけど???
という気持ちに。
みんなが普通に持っている鉛筆削りで、
なぜに私だけ制約を受けるのか。
確かにナイフで上手に削れるようになりました。
それで鉛筆削りを買ってもらいました。
でもさ、ナイフで鉛筆を削るような機会、ないです。
まったく必要ない技能だと思いますが、
きっと両親が教えたかったのは技能ではなく、
もっとスピリット的な?そういう精神論の話だったんだろうなと。
贅沢するな。便利さを追うな。不便さを楽しめ。
みたいな。
それが『良い』も『悪い』もないと思うんですが、
結局はアレですよね。
時代
↑の贅沢や便利さへの嫌悪感はおそらく、
第2次世界大戦の影響だと思います。
今現在70代中盤~後半の両親世代は、
戦後すぐに生まれ育った世代なので、
戦後の影響をモロに受けていると。
母は紙オムツにも眉をしかめましたし、
父は「掃除機は嫌だね~、やっぱホウキがいちばん」と言いました。
(「お父さん掃除なんかしないくせにそんなことを言ってはいけない。」
と娘に叱られましたが。)
価値観やミーム(概念)は無数にあり、
それぞれがその時代の人たちの生活に影響を及ぼすんですが、
たくさんの価値観は数珠つなぎになっていると思います。
『贅沢や便利さに対する嫌悪感』の先に、
『鉛筆はナイフで削れて一人前』という価値観があり、
『贅沢や便利さに対する嫌悪感』の大元には、
『置かれた場所で咲きなさい』理論があるのかと。
そしてこういう、
生活に大きな影響を及ぼすような根本的な価値観が変わる時には、
大抵『戦争』がある、
そんな本を読んだことがあります。
(またどの本か忘れた。もはやお約束w)
そして今思うんですよ。
今回のこの新型コロナウイルスは、
世界的に何かの『価値観』を置いていくんじゃないかと。
だって私いま42歳(あれ?42歳?43?41?いや、42だ。)ですが、
こんな『疫病』が生活の根本を変えるような事態、
生まれて初めてですよ。
これってきっと、きっとですが、
『戦争に近いもの』があるんじゃないかと思うんです。
(私は戦争を知らないので、経験者はなんと仰るかわかりませんが。)
戦争と同じように人がたくさん亡くなり、
人々が監視し合い、
日常が奪われ、不便を強いられ、
生活必需品に困り、
子供たちや自分の身を守るために生活に制約を受けます。
私の予想ですよ?
ただの無責任な予想。
このコロナ禍の後、
『人に会うこと』が、
いまよりももっと、
希少価値のあるもの、
みたいな、
会ってミーティングするからには
会うならではの成果を、とか、
恋人と会うからには特別な場所に、とか、
そんな価値観のようなものが、
生まれたりして、なんて。
違うかな。どうかな。
でももはやそんな新しい価値観は、
我々世代の心には生まれず、
今20代以下の若者たちや、
息子たちが担っていくものですが。
両親と同じく、
我々はもう、今の、今後古くなっていく価値観で、
このまま生きていくんでしょう。
母は相変わらず、毎日ホウキで掃除していますしね。
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お忙しいところすみません。。
いつも応援ありがとうございます。
自分以上に頼りになる人、いますか?