おはようございます。ワーキングマザー・サバイバルのみゆきです。
息子ふたりを育てながら、共働きの日々について書いています。
Twitterで見かけた、選択的夫婦別姓に関する武田鉄矢氏(70)の発言に
苦笑→呆れ→時代を思う
という感じでした。
⇒詳しくはこちら(武田鉄矢の発言に批判殺到 夫婦別姓は「女の覚悟の問題」)
ま、70歳のオジイチャンですからね、そうなるでしょうね。
もちろん私は、何歳の誰であってもこの発言は批判しますが、
『そういう時代だったんだろうな』
とも思いました。
私の両親くらいの世代です。
まだ『戦後』感満載の時代に生まれ育ち、
直接的には言われなくても、
『男の覚悟の問題』と強いられることもたくさんあったでしょう。
強くあれ
勝ち続けろ
諦めるな
置かれた場所で咲け
私もその時代のことは詳しくは知りませんが。
でもきっと私も、70歳になったら、
今の私の価値観が漏れ出てしまい、
息子たちに非難されるようなこと、
きっとあるんだろうなと。
何度も言いますが、武田氏の発言を擁護する気はさらさらありません。
『家族を養う大黒柱』という役割を押し付けられた私の父が、
自分のやりたいことを押し殺してでも
大黒柱であり続けるように仕向けられたように、
武田氏も時代に押し付けられた役割の中で無理したり我慢したり、
それを乗り越えるしか選択肢がなかったのかもしれません。
想像ですが、選択肢が少ない時代、だったんじゃないかなって。
だから『覚悟』という言葉が出るんじゃないかなと思いました。
自分にほかの選択肢がなかったように、
妻を含め女性にも、
『覚悟』や『気合い』で乗り越えるように強いるのは、
とても自然な流れだと思います。
でも時代が変わり、
選択肢が少しずつ生まれ、
『時代錯誤』状態になってしまったんでしょう。
ちなみに私は、
選択的夫婦別姓が採用されたら、
手続きがどれだけ面倒でも、
絶対に旧姓に戻したいです。
それこそ『選択性』なので、
戻す人も戻さない人も、これから結婚する人もしない人も、
好きなようにすればよいと思いますが、
私は戻します。
それを夫に言ったら、
「好きなようにすれば~?
あ、でさー・・・」
とほかの話題に移られました。
夫としては、もしかしたら複雑な感情が少し湧いたりするのかもしれませんが、
最終的には『どうぞお好きに』って感じでした。
「子供も一緒に私の姓に・・・」
と言ったら抵抗するんでしょうか。
今既に夫の姓で生き始めている子供たちの姓を、
理由もないのにわざわざ変えようとは思いませんが。
人類のあるべき姿がどんなものであるのか、
それはわかりませんが、
とにかくここ最近は、
『選択』『多様性』
という時代なんでしょうか。
それすらもわかりませんがね。
6歳と4歳の息子ふたりが、ふたりだけで会話しているのを
キッチンから聞いていました。
なんの流れか、結婚について話していて、
「次男クンも結婚したら子供ができるんだよ。」
「そしたら、結婚する女の人、見つけなきゃ。」
その後の長男の発言。
「でもね、男の人と結婚する男もいるよ。
いろんな人がいる。」
私以外の大人が聞いていなかったのが惜しい会話でした。
多分、記憶が曖昧なんですが、
うちに遊びに来た、姉の友人の海外の人の、
兄弟か誰かがゲイで、
そんな話の流れで、
同性同士で結婚する人もいる、
ということを姉か私が説明したんだったか。
随分前のそんな会話を、
子供ってちゃんと覚えているものなんだなと。
結婚だって、別にしてもしなくても、
好きなようにしたらいい。
そうも言ったような気がします。
「女の覚悟の問題」と言う人と、
「男の人と結婚する男の人もいる」と言う子供が、
同じ時代に生きているってなんか、
不思議な感じしませんか?
何が正義で何が悪か、
それは時代が決めることと言うか、
人はとにかく、社会的な生き物なんだなと。
「お母さんは古いんだよ。」
いつ言われるかな。
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最後までお読みいただきありがとうございます。
ひとりでできることには限りがある。