やめて vs. やめて/やめて vs. やりたい 砂山保育士を見て考えた

B!

 

おはようございます。みゆきです。

7歳と5歳の息子ふたりを育てています。

 

少しだけTwitterで盛り上がりを見せた議論。

砂場での『繊細な保育士のお仕事』

 

『炎上』と呼んでいいと思うのですが、

最終的に元のツイートは削除されてしまいました。

 

【保育士の繊細なお仕事】
2歳児さんが砂山を作っていました。
ふわふわしていて、すごく素敵なお山を見ると…崩したくなりました(子どもかっ)。
『崩していーい?』
「だめー(笑)」
『…崩していーい?』
「だめー(笑)」

私はこの先のパターン考えた。

①崩してゲラゲラ笑う
②崩して泣かれる

どちらに対しても対処法を考えて決行した。

『我慢できないっ!!』

と砂場の縁からジャンプして踏みつけた。

「あー!!」
『ごめんなさいごめんなさいごめんなさい我慢できなかったんですごめんなさい我慢できなかった私が悪いんです』
と、砂山を元に戻す私。
笑う子どもたち。

意外に行けたなぁ…と思った私は再度暴挙へ。

『崩していーい?』

「だめー(笑)」
『えぇい!』
「あーー!!」
『ごめんなさいごめんなさいごめんなさい我慢できなかったんですごめんなさい我慢できなかった私が悪いんです』
と、砂山を戻す私。
「(笑)」

3度目の暴挙へ。

『……崩していーい?』
「(笑)いいよ。」
『え?』

2歳児に譲られる私よ。

保育士の繊細さ、言葉だけじゃ伝わらない。
質問はリプライへ。

-完-

 

 

子供を保育園に預ける親としては、

おそらく反射的に『嫌悪感』が湧きます。

 

同じように感じた方が多かったようで、

批判的な意見が多く見られ、それによって元ツイートを削除したのだと思われます。

 

でも何かが引っかかっていたので、考えてみました。

 

『やめて』vs. 『やりたい』

私も子供に教えるようになるまで、

ちゃんと整理して考えたことなんてなかったんですが、

衝動的に『やりたい』と感じたことが抑えられないうちの次男(5)には、

こう教えています。

 

「次男クンの『やりたい』気持ちよりも、ママや長男クン、パパやお友達、

他の人の『やめて』の気持ちのほうが大事なんだよ。」

ここで言う、

砂山を崩したい衝動よりも、

崩さないで、という気持ちのほうが『大事』なのだと教えています。

 

でも一方で、『許す心』も教えますよね。

 

砂山くらいであれば、衝動的に崩してしまった子がいても、

「ごめんね」と言われたら許してあげようと、

お友達相手なら、我が子にはそう声をかけるはずです。

 

そういう意味で『繊細な』保育士のお仕事、

と言っているのかなと、推測しました。

 

この↑の保育士さんの言動としても、

「ごめんなさい、ごめんなさい、我慢できなかったんです」

と謝り、それでも衝動を抑えられなかったことを伝えています。

 

 

実際のお友達との付き合いの中では、

この保育士さんのように衝動を抑えられない子もいるでしょう。

砂山に限らずその場合を想定して、

砂山を崩す側が『繊細に』言動をコントロールした状態で、

シミュレーション場を提供している、

そういうことなのかなと、考えました。

 

いやただし、

これを保育士さんという立場の人が自ら演じるべきなのか、

それは私にはわかりません。

常に子供を保護し、お世話してくれるキャラクターが保育士さん、

というイメージしかないので、

シミュレーションの場だけでこのようなキャラクターを演じることが、

子供たちの保育園生活にどのように影響するのか。

そこにちょっと不安はあります。

 

そういう意味でも、『繊細な保育士のお仕事』と称したのでしょうか。

 

勉強を教えることが本分である学校の先生と、

保育をしながら、情緒や生活習慣、社会性を教えることが保育士さん、

ということなのかもしれません。

 

『やめて』と『やりたい』

このふたつは、大人になってもいつだって干渉するものなんですよね。

事の内容によっては許す心、譲る心も必要な時と場合がありますが、

やはり基本的には『やめて』のほうが尊重されるべきです。

 

プライバシー保護と表現の自由がいつだって干渉するように、

権利と願望や主張は干渉するのが当たり前です。

 

じゃあ、『やめて』と『やめて』は?

例えば、例えばですが、

2歳ちゃんの作った砂山が実は、

他の2歳ちゃんの砂山を削ってとった砂でできていたら?

そしてそれしか砂がなかったら?

 

そういう場合には時系列が存在する場合がほとんどかなと思うのですが、

早いもの勝ち?

半分こ?

痛み分け?

お互い様?

 

確かに『繊細』。

でもそうだな~・・・

やっぱり、わからないけど個人的には、

子供がお手本にしがちな保育士さんや大人が、

その立場を演じることは『繊細過ぎる』気がします。

 

そういう場面はお友達間で発生したときに、

その後のストーリーとして言って聞かせてあげるほうが、

いいのではないかなと、

いやでも、私は保育士さんではないのでわからないですね。

 

あとは、そんな『繊細』なことを、

言葉があまりわからない2歳児に、

相手(2歳児)がどう理解するかわからないときに、

体感として教えてしまったいいのか、

というところも疑問です。

謝れば『加害』しても良いと、勘違いしたりしないでしょうか。

 

うん、やっぱり確かに『繊細』です。

 

でも整理して考えてみたら、スッキリしました。

 

 

 

 

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