おはようございます。みゆきです。
11歳と8歳の息子ふたりを育てています。
習い事ゼロ方針です。
半分は、大人の都合です。
お金もかかるし、送り迎えが大変だったり、
大人のタスクを増やしたくないから。
余裕を持った生活がしたいから。
そして半分は、こじつけかもしれないけど、
いやこじつけだけど(笑)
子供たちには時間を持て余してほしいから。
時間を持て余して手持ち無沙汰にならないと
見えない自分がいると、思うから。
そして、中学生以降になると、
なかなか時間て持て余せないと思うんですよね。
勉強も部活も忙しくなるし。
簡単なことでいいんです。
例えば我が家でちょっと時間が空いた時、
長男は手近にある本をつかんでゴロンと寝そべるし、
次男は折り紙やら粘土やらで遊び始めるわけで、
既にここに個性があり、
彼らの『好き』が現れています。
刺激の強い情報が溢れている時代だから、
あえて時間を持て余さないと見えない個性が
あるような、そんな気がしてならないのです。
子供たちが、音楽会?のようなもののために
リコーダーを練習していました。
まだ3年生の次男は、片手だけで吹ける曲。
ドドラド~♪
ドラドラシ~♪
ラ~ドラシ~♪
で、ふと気づいたんですよね。
私は、3歳~18歳まで、鍵盤ものの音楽(エレクトーン)を
習っていましてね、
簡単な曲だと、自然と頭に音階が浮かぶわけですよ。
長く音楽を習っていた人はみんな同じだと思います。
『絶対音感がある!』とかそんな大層なものではないんです。
一応そういう訓練は受けましたが、
簡単な音階じゃないとわからないし。
学校の子供の音楽会を見に行くと、
当たり前に簡単な曲なので、
頭に譜面が浮かびます。
音符とか記号、
『だんだん大きく』の記号とか?
そういう簡単な譜面が浮かびます。
でもそれって、
夫には無いのだよなと、
はたと気づいたんですよ。
それでまた前回の記事に戻るわけです。
『好き』になるためには、
そのことを知らないといけないわけです。
ピアノやエレクトーンを習うと、
最初はもう、楽譜の勉強なんですよね。
楽譜が読めないと演奏できないので、
退屈だけど、音符の意味とかを覚えさせられるんですよ。
最初は退屈だった~・・・
練習もしないから先生の前でも弾けないし、
『練習してきましょうね』
って毎回言われて、
練習するのも気が進まなくて。
それでもある時
たまたま練習していくと、
当たり前だけど先生の前でも弾けて、褒められて、
いい気になるわけです。
だからまた練習すると、
『繰り返し練習するとできるようになるのだな』
ということを体で覚えます。
そんで、
『できるようになると気持ちいのだな』
ということも体験して、
日常的に練習するようになって、
上達して、また楽しくなって、
そんで初めて、
『好き』
が来るわけです。
音楽以外でも同じで、
美術館へ行くのが『好き』な人はやっぱり、
画家さんのこと、美術の歴史のこと、
画法のこと?知らんけど、
そんなものに対する知識があるんですよね。
その本人にとってはそれは自然で普通なことだけど、
他の人にしたらそれは特別な知識なわけで。
本も音楽も、
かすかなようで、
実は結構な威力で、
私の人生を豊かにする要素なわけで、
その出会いと、
それらに対して造詣を深めることができた我が身の幸運に
ふと気づく、
40代後半というお年頃?
子供らのことは特に心配はしていないけど、
『ここぞ』というときに
ちょっと手を添えられたらいいな~、なんて。
彼らが時間を持て余した先に生まれた
『やってみたい』にうまく乗り込めるように。
それまでは『習い事ゼロ方針』というのかな。
たしか小学生の時に母に言われたんです。
エレクトーン、やめようかなって私が言った時。
「好きじゃないならやめても良いと思うけど、
なんでもいいから、長く続けられるものがあるすごくいいと
お母さんは思うんだ。
お母さんもね、お三味線好きだったんだけど途中でやめちゃってね、
あの時やめてなければって今思うんだ。
長く続けられるものがあるって、とても楽しいことだから。」
そのときは、
『よくわからないけどとりあえず続けてみよう』
と思って結局、高3まで続いたわけです。
・・・ってここまで書いて、
なんかこの話、前も書いた気がするな~(笑)
もう最近は、全部忘れちゃう(笑)
なんにも覚えてらんない(笑)
アハハ~
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いつも応援いただき、本当にありがとうございます。
本当は不安でたまりません。