おはようございます。ワーキングマザー・サバイバルのみゆきです。
私がアメリカに留学したのが、1996年。
23年も前だぜ、イエイ!
もうこの事実にはすっかり慣れました。
ほんの5年くらい前までは、
「大学生だったのが20年も前ってウーケールー!」
と思っていましたが、
もうウケない。
2000年に日本に帰るまで、
一時帰国を挟んで4年ほどアメリカに住んでいました。
オクラホマやサウスダコタなどにも数ヶ月ずつ住みましたが、
最終的に落ち着いたのは、
ウイスキーが有名なテネシー州。
「Tennessee」のスペルを初めて覚えた時、
「n」と「e」が多いな!と思ったのを今でも覚えています。
いわゆる南部の田舎町でした。
州都のナッシュビルから車で2時間ほど(だったかな~…)の街でした。
大きな州立大学へ通っていました。
もう、なにも、なーんにも知らない18歳かそこらの子供だったのですが、
カフェテリアの席が半分に分かれていることはわかりました。
そう、肌の色でね。
学校内のカフェテリアなので、
友達と一緒に座るわけなんですが、
まぁ見事にわかれていました。
かと言って、20年前のアメリカ南部であっても、
『あからさま』な『差別』はNGとされていたわけで、
クラス内にはいろんな人種の人がいて、
『普通に』話したりはしていました。
きっと個人個人では、肌の色の違いを超えて人間関係を築いている人も
たくさんいたのでしょうが、
よそ者の私には、『分かれている』という印象がありました。
そして私がアメリカへ行って
「へ~!」
と思ったことがひとつあって、
確か運転免許証とか身分証明書系だったと思うんですが、
自分の『色』を記載する箇所がありました。
なんの色かと言うと、
『瞳の色』
いわゆる白人の人たちは、
体の色素が薄いために肌が白いんですが、
だから髪の色も薄くなって金色や茶、赤になるわけです。
それと同じで、瞳の色も青、または茶色、グレーと
いろんな色になるんですね。
そして身分証明の情報として、瞳の色が登録されていると。
黄色人種が大多数の日本では、
瞳の色ってあまり変わらないですが、
ブルーかブラウンか、という大きな違いがあるため、
そういう仕組みだったのだと思います。
その違いを利用した、子供たちの実験。
今の時代にこんな実験をしたら問題になりそうですが。
既に肌の色の違い、それによる『差別』が存在し、
大きな社会問題となっている国で育つ子供には、
こんな体験も必要なのでしょうか。
(日本にも人種差別はありますが。)
これはいろんな実験で検証されていますが、
大人も子供も、
『あなたは劣るグループに属する人です。』
と言われるだけで、たったそれだけで、
能力に違いが出てしまうんですよね。
不思議です。
逆も同じで、
『あなたは優れているグループの人です。』
と言われるだけで高い能力が発揮できる。
怖いですね~
以前アンパンマンの絵本を読んでいたら、
『くろゆき姫』というのが出て来ました。
イタズラ好きの、『悪い』キャラとして描かれていました。
そしてびっくりしたのは、
アンパンマンに退治されて改心して、
白くなったこと(こなゆき姫になった)。
無意識に刷り込まれた、
『黒=悪い/白=良い』
という概念。
その絵本は慌てて子供たちの見えないところに隠しました。
自分や自分の大切な人が例えば黒人だったとして、
今のような世界、社会の状態で、
その上で『くろゆき姫』の絵本を見たら、
と想像するだけでブルッと来ます。
女の子が主役の絵本やアニメが少ないのと同じで、
黒人の子供が主役の絵本やアニメは極端に少ないです。
今手に取れるコンテンツは
新旧が入り混じっているので、
たまに時代にそぐわないものに出くわすと少し慌てます。
誰の足も踏まずに生きることは、
厳密なことを言ったら難しいのかもしれないのですが、
せめて「その足をどけてくれませんか?」と言われたときに、
すぐに足をどけて謝れるような、
そんな人に自分もなりたいし、
子供たちにもそうなって欲しいと、
私は思います。
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お忙しいところすみません。。
いつも応援ありがとうございます。
自分以上に頼りになる人、いますか?