おはようございます。ワーキングマザー・サバイバルのみゆきです。
少し前の話なんですが、
何の時だったか、
私、夫、姉、子供たちで近所を歩いていました。
すると、トコトコと歩いていって、
旅行者らしき男性に英語で話しかける姉。
地図を片手に、道を案内しているもよう。
うちの近所だし、私のほうが知ってるかも、と一緒に地図を見て、
「あー、あー、あそこね、知ってる、
知ってるけど、えーっと、どこだっけ?
地図地図・・・えーっと・・・あれ?あっち?こっち?
ねー!パパー!」
と夫も呼びました。
「あなたたち、英語はできるけど地図が読めないね~。」
と夫の助けを借りて、観光客の男性に道を伝え、
彼はお礼を言いながら歩いていきました。
そして姉が、こう言いました。
「観光客が白人以外の場合、
地元の人にサポートしてもらえる確率が低いんだって。
だから白人じゃない時、積極的に話しかけるようにしてる。
白人は、私が助けなくてもほかの誰かが助けてるから。」
へー、知らなかった。
でも確かに、そうかもね。
私たちは無意識に、
人の見た目や人種、肌の色、性別で、
その人や、その人の言うことの『価値』を測っているんです。
黒人女性は、白人女性に比べて約3倍、
患者の生存率が最も高い組み合わせは、
命という『最優先』のものを左右する現場でも、
症状を訴える人の人種や性別によって、
治療の優先順位が左右されてしまう、かもしれないということ。
痴漢がなくならないのも、
要はそういうことだと思うんです。
警察、鉄道会社、政府、
どこの組織も、社会全体も、
『男性』の言うことは
「なるほど~!それは改善しましょう!」
と話を聞き、
女性が言っても、なかなか真剣にとらえてもらえない、
ということなのだと思います。
当の女性ですら、
女性の言うことの『価値』を低く見積もることが多いと思います。
だから大抵の社会問題は、
『男性の問題・白人の問題』になったほうが早く解決する、
もしくは具体策がとられるのが早い、と言われています。
PTAの『問題』も同じ。
PTAが全員パパになって、
そこに問題があるとしたら、
今よりはいろいろと変わると思います。
(最近パパも増えてきたようですが。)
残念ながら、もはや私の中にすら、
この『価値』の基準は刷り込まれているということを実感します。
それは無意識なので、
この事実を意識的に知るということだけが、
私にできる抵抗かなと。
それで言うと、
もしかしたら私たちは、
子供の言うことも、その『価値』を見誤っていることが、
あるんじゃないかとも、思いました。
「学校行きたくないな~。」
子供がそう言う時、
それを『オジサン』が言ったと仮定して聞いてみると、
もしかしたらもっと真剣に話し合う気になれるのかも。
意味わかります?(苦笑)
オジサンが「学校行きたくない」と言うのも想像しにくいんですが、
子供の発言を、軽く捉えているんじゃないかと、
一度自分に問いかけるようにしたいなと、思っています。
言葉が通じないような小さな子の場合はちょっと難しいですが、
言葉が通じるようになった今、
何かを拒否するときなど、
どうして嫌なのか、
でもこちらはこうして欲しい、その理由、
しなければいけないことがあるということ、
どうしても嫌な時の代替案、
そういうのをね、可能な限り丁寧に説明したいなと、
頭では思っているんですがなにせ、
時間がない、こちらのHPがない、
という場面のほうが多いですかね。
私が覚えている限りなので小学生とか、
それくらいだと思うんですが、
私はやっぱり『説明』がもっと欲しかったです。
理由がわかれば楽になれたこと、
子供なりにもっとあったと、私はね、思います。
夫に言わせると「理由なんか!」って感じでしたが。
とにかく、誰が言うか、ではなく、
何を言うかを、聞いていきたいなと、
そう思うわけです。
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いつも応援いただき、本当にありがとうございます。
本当は不安でたまりません。