おはようございます。ワーキングマザー・サバイバルのみゆきです。
息子らのお年玉は毎年、私が彼ら名義の銀行口座に貯金しています。
しかし長男はもう5歳。
今年初めて、一部を好きなように使わせてみました@近所のスーパー
普段は、いわゆる『食玩』は買ってはいけない、と言っています。
なぜなら高い、そしてすぐ飽きるから。
しかしその日は、
「食玩だろうがなんでも好きに買いなさいと、自分のお金だから好きにしなさい」
と言いました。
さすがに次男はまだ2歳なので、ひとつだけ好きなものを買っていいことにしました。
すると次男は、いつもはダメと言われるウルトラマンの食玩(300円)を買うとすぐ決めました。
長男もそれを見て、最初はそのウルトラマンの食玩を3つ買うと言いました。
それも「好きにしたらいい」と言いましたが、
これまた長男が大好きで、いつもはあまり買ってもらえないポテトチップスが、その食玩ひとつで3つも買えると言うと、
ポテトチップス3つと、食玩ひとつにする、と。
「決まり~」とスーパーのほかのエリアに歩いていこうとすると、値下げ商品のカゴの中に、普段ぜーったいに触らせてももらえない、
中にお菓子が入ったキャラクターの缶(クリスマスや年末年始だけにスーパーに並ぶやつ)が値下げされて売っていました。
それでもそのお値段は1,000円(たかすぎーww)。
それを見た長男は、もう食い気味で
「これにする!ぜったいこれにする!」
これは1,000円なので、これひとつでウルトラマンのお菓子が3つも買えること、
これはお菓子というよりも入れ物を買うのだということ、伝えましたがそれでも買うということなので、買わせました。
自分のドラえもんのお財布からお金を払って、意気揚々と家に持って帰り、開けて・・・
中身を見た時のガッカリした顔ったらwww
缶の中には、キャラクターの袋に入った駄菓子的なお菓子が3つだけ入っていました。
「がっかりしたの?」
「うん、お菓子、ちょっとしか入ってない。」
「もっと入ってると思った?」
「うん、30個くらい入ってると思った。」
「そっか、残念。」
しばらく缶で遊び、すぐに缶も次男にあげてしまいました。
失敗 することは 子供 の権利だと、改めて思いました。
その権利を親が先回りして奪うのは、やはり良くない。
この『納得感』は、何にも代えがたいと。
私自身、いま思うとよくも親はあそこまで放っておいてくれたな、と思うくらいに放っておいてもらいました。
アメリカから帰国して、就職もせずにアルバイトしていましたが、なーんにも、なーーーんにも言われませんでした。
「まぁ、みゆきのことだから大丈夫でしょ」
それだけでした。
2年ほどアルバイトをして、その後一応、一般的な会社に入社しましたが、転職しようが何しようが、
「あ、そーなの」
と興味もなさそうだったので、そのうち報告もしなくなりました。
というかそれはもう、高校受験の時からでした、そういえば。
どの高校を受けるか、滑り止めを受けるのか、それも自分で決めなさいと。
そして本当に、私が決めたことにひと言も口を挟みませんでした。
勉強しなさいと言われた記憶も一度もありません。
さすがに留学を決めた時は「危ないのでは」と父がしばし抵抗しましたが、数日で折れてくれました。
そしていつも漠然と、親からの『信頼』を感じていました。
当然ですが、たくさんたくさん、たーくさん失敗をしました。
人に迷惑もたくさんかけてしまったし、たくさんの人の心を傷つけてしまったし、失ったものもたくさんあるし、怖い思いもしました。
でも幸いなことに、取り返しのつかないような失敗はせずに来れました。
そして、これまでの自分の人生や今の自分に、納得感があります。
今後の自分が、自分でも楽しみです。
やはりそれは、自分で決めて自分で責任を取ってきたからなんじゃないか、と私は思うんです。
まぁ逆に、なんでもかんでも自分でやれ、と言われ過ぎたことの弊害も感じてはいるので、そこはバランスも必要かも、とは思うのですが、
でもどちらかというと、なんでもやらせるに越したことはないのかな、と逞しく育つ若い命を見ていて思います。
というか『成長』が自然に向かう先は、『自分でやってみたい』の方向であり、阻まない限りそうなるものである気もします。
失敗は成功のためのデータである。
彼らがデータを積み上げることを阻止するなんてやっぱダメよね。
そしてその『失敗』を、大人が横から勝手に定義することも違う。
同じ経験でもその子によって違うデータになる。
思うようにやってみて、いっぱい失敗して、思い切り生きてください。
母さんは、ここにいます。
↓のバナーをクリックいただけるとブログランキングのポイントが入ります。
応援クリックいただけると喜びます。
最後までお読みいただきありがとうございます。
ひとりでできることには限りがある。