おはようございます。ワーキングマザー・サバイバルのみゆきです。
最初にお知らせを。
本日8:30ころから10分ほど、東京FMの『ONE MORNING』というラジオ番組に出演させていただく予定です。
もしお時間ありましたら、ぜひ~
夫とも話していたんです、この『子供との接し方』について。
「子供はごもっともな理由なんて求めてないらしいよ~」
と。
そして昨日の話。
平日の夜、長男(5)は次男(3)とテレビで妖怪ウォッチの映画を見始めました。
(@Amazon Prime)
映画だからね、長いですよね。
そして時計を見ると20:30。
そろそろテレビはおしまいの時間。
歯を磨いて寝る時間です。
「長男クン、もうテレビおしまいの時間だから、
もうちょっと見たら止めるよ?」
「えー!ペダル(弱虫ペダル)見たいー!」
「でももうこんな時間だもん。」
ここですかさず横から、パパ登場。
パパ「見たいね。残念だね。見たいね。」
長男「見たい!見たい見たい見たい!」
パパ「見たいよね、パパも見たい。見たいね~。」
長男「見たい!・・・うー・・・」
ここでこらえきれずリモコンを操作してしまう。
パパ「見たいね。でも消そう。ホラ、ママにリモコン渡して。」
長男「・・・」(素直に渡す)
パパ「見たいね。」
長男「・・・絵本読む。いっぱい読む!」
私「よし、読もう。読んで寝よう。」
大人は基本的には、「見たいね」しか言っていないんです。
でも、『本を読む』と代替案を出してきたのは子供本人です。
『ひたすら共感戦法』は、多分効きます。
本にも書いてありましたが、
共感だけしていると、
子供が勝手に解決策を出してきたり、
それだけで気が済んだり。
ただしかし、
大人のほうに、なんとも感触がないというか、
実感が伴わないというか、
『解決した感』がないんです。
だからおそらく、なかなか習得しにくいのかと。
でもきっと繰り返しやってみるうちに、
共感のしかたももっと上達するかしら。
本にも書いてあるんですが、
なぜだろうか、大人ってどうしても、
子供が駄々をこねたり、思い通りにならないとき、
『罰』を与えたくなる衝動に駆られます。
その衝動を、とにかく抑える必要があると、いうことです。
例えば次男(3)はとにかく、
『なんか楽しそう』の衝動が大きく抑えられない子なのですが、
テレビにボールを投げてみたり?
したんです。
『怒られるかな?』<『やってみたい!』
なんでしょう。
そんで、投げて、叱りますね。
テレビにボールを投げてはいけない、と教えます。
それでももう1回やったりする子なんです。
それでまた、テレビにボールを投げてはいけない、と根気よく教えます。
これくらいになると、
「もうテレビなし!」
と『罰』を与えたくなるものです。
この『罰』にはおそらく、
意味がないのでは、ということです。
教えたいことは、
テレビにボールを投げてはいけない、
もしくは物は大切にする、
ということです。
しかし『罰』を与えることで、例えば、
『テレビ見せてくれないママ嫌い!』
『なんか嫌なことされた!』
という印象のほうが勝ってしまっては、
『罰』に意味はなくなります。
『罰』を与える側にしたら、
『目的を果たすための罰』でも、
『罰』を受ける側からしたら、
そんなに都合よく結びつきませんね。
いや、言われれば、わかるんですよね~
でもね~、
実際その場になるとね~
「もうオヤツあげないよっっ!」
なーんて、やっちゃうんですよねー。
だって子供って、
何度も何度も、何度も何度も、何度も何度も
言って聞かせて、やって見せて、と時間と手間をかけないと、
行動が変わるほどに理解しませんから。
いやいや根気のいる作業です。
みなさん、お疲れ様です。
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いつも応援ありがとうございます。
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