動詞が違うと意味がわからないので

B!

 

おはようございます。みゆきです。

12歳と10歳の息子ふたりを育てています。

 

「夢は見るもんじゃねえ。叶えるもんだ。」

 

これって誰が言ったんだっけ?

映画?漫画?ドラマ?

 

でもなんか、こういう系の名言(?)というか、慣用句(?)というか、

そういうのって、多くないですか?

 

『ルールは守るものじゃなく変えるもの』

『チャンスは待つものじゃなくつかみ取るもの』

『仕事は与えられるものではなく自ら作り出すもの』

『愛は求めるものではなく与えるもの』

 

形のない概念(夢とか愛とか)に付随する動詞をいじくると、

なんか無性に『確かに』と人々に思わせるやつ。

 

思うに、特に若い時に心打たれたれがち。

 

年を取ると、

 

いや、与えられる仕事もあるし、

自分で見つける仕事もあるし、両方でしょ。

 

みたいなこともわかるようになりますよね。

 

玉石混交というか、

そうやってシンプルに動詞を入れ替えるだけでは

取りこぼしの多い概念と、

 

そうでない概念があると思ったんですよ。

突然ですが、

 

【ひとつ目】幸せ

確か仏教の本を読んでいた時に知ったんですが、

これは芯を食った言い回しじゃないかなと思ったんです。

 

幸せとは、与えたり、探したり、もらったりするものではなく、

実感するものである。

 

単なる言葉遊びにも思えるけど、

幸せの青い鳥じゃないけど、

年をとっても、年をとったからこそ納得できる、と思いません?

 

【ふたつ目】境地

 

これがね、最近ピアノの先生に言われて腹落ちしたこと。

我が先生は、音高~音大へ進んで、

大学でピアノを教えたり伴奏の仕事をしながら

私費でピアノの先生を探して何度も渡欧して

やっと日本で納得のいくピアニストの師を見つけて、

その人に30年以上師事していて、

まあ要は、ものすごくピアノ道を進んでいるというか、

人生のほとんどをピアノの上達のためにつぎ込んでいる人なのですよね。

 

だから当然ピアノはすごく上手いと思うんです。

私なんぞ素人が言うのもアレなんだけど、

例えば以前の先生と比較するという失礼なことをしても、

なんかやっぱり音がちょっと違うんです。

 

それでもまだまだ、もっと上手くなりたいと言うので、

この人に習っていれば間違いないなと思うのです。

 

そんな先生がね、言ったんです。

 

『結構頑張って練習してるのに全然弾けるようにならない』

と私が愚痴った時。

 

 

例えば『ピアノ演奏の境地』みたいなものがあったとして、

で、私がその境地のことを知っているのかっていうのもわからないけど、

それって到達するものじゃないのよ。

既にある場所に到達するわけじゃなくて、

自分で少しずつ作り上げるものなのよね。

練習していれば必ず、少しずつだけど作っているのよ。

 

なんか、希望が見えません?

 

例えば簡単な例で言うと、

大谷翔平選手とか?よく知らんけど。

 

世界中で誰もやっていない二刀流選手として、

本場のアメリカでも一目置かれているわけじゃん?

スーパースターじゃん?

 

でもさ、よく考えなくてもわかるけど、

絶対に、人一倍練習してるじゃないですか。

そんで且つ、小さいころから多分、野球しかしてないでしょ。

他のいろんなものを差し置いて、野球を優先しないと、

人間の24時間365日は平等に有限ですから。

そうじゃないと、やっぱりあれだけ秀でたりしないじゃん。

もちろん才能はあったのだろうけど、

彼と同じくらい才能のある人は他にもいるだろうし、

才能だけだったら、彼のような活躍を見せる人が

他にもいるはずでしょ。

 

大谷選手にしてもさ、

到達したというより、

作り上げた、作り上げている、

というほうがしっくりきません?

 

『境地に達する』

 

ってどこで言われたのかもよくわからないけど、

対になる動詞が違うこと、

そのせいでいまいち腑に落ちないこと、

結構あると思うのよね。

 

まあ、私は言葉に引っ張られがちなのもわかっているんだけど。

とにかく、やってもやっても弾けるようにならない練習、

今日もやりますよ。

 

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#努力

 

#ピアノの練習

 

 

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