自分の苦しみは、やっぱり自分で言わないといけないのかもしれない。

 

おはようございます。ワーキングマザー・サバイバルのみゆきです。

父が、79歳になりました。

60代で一度、脳梗塞で入院したことがあります。

右半身が少し不自由ですが、自分のことはまだ自分でできます。

脳梗塞の後遺症として、感情失禁と呼ぶらしいのですが、

急に泣いたり笑ったりします。

でも生活に支障はないようです。

 

母が元気なのでなんとかなっていますが、

母曰く、そろそろ認知症の症状が出始めています。

歩いて10分の近所のコンビニにも、もう歩けません。

1日中テレビを見て、昼寝しているそうです。

 

そんな父のこともあり、姉に勧められて

この本を読んでみました。

 

認知症治療の第一人者である医師本人が認知症になり、

やっと認知症のことがわかった、

という本です。

 

認知症と言っても意識はまだらで、

人が変わるわけではない。

今までと同じその人として、丁寧に向き合って欲しい、

そんな本です。

 

今後父の症状が進行することも考え、学びとして読みました。

父にどう接するべきか、学びました。

書いてある通りに、認知症だからと言って

何もわからないだろうと騙したりしないし、

本人の希望は本人に聞こうと思います。

 

でもやっぱり、私自身は認知症ではないし、高齢者でもない。

当事者でないということを、凄く感じました。

 

私は自分が子育てをしてみて、

私たちのことをすべて母に丸投げしてひとりで遊んでいた父に、

反感を覚えています。

正直父に対して、母ほどの親密さや愛情を感じません。

 

だから読んでいても、反感や反論がところどころで顔を覗かせます。

 

子供や子育て世代に優しくない現代に、

認知症の人にそこまで優しくなんてできないし。

 

みたいな。

そんな感情を、たまに覚えました。

 

高齢者が優遇されている社会であることは、

社会のせいであって、高齢者個人に責任はない。

責めるべきは社会や政治であって、高齢者個人ではない。

 

頭ではわかっているのに、正直反感を覚えました。

 

でも、当事者じゃないって、そういうことだよなと、

改めて思ったんです。

 

そしてこの認知症の苦しさや、どうして欲しいのか、

それを世の中に訴えるのはやはり、当事者である高齢者なのだよなと。

私は、子育て中のワーキングマザーであり、

女性であり、中年であり、ヘテロセクシャルで日本人です。

だから、子育て中のワーキングマザーの辛さを、

世の中に訴えていけばいいんだよなと。

 

違う立場の人の辛さは、やっぱり代弁してあげることはできないし、

辛いなら辛いと、大変でも自分で言うしかないと思うんです。

 

例えばTwitterで、私であれ他のワーママさんであれ、

共働きの辛さを呟くと、

『専業主婦の辛さはどうなるんですか?』

というコメントがついたりします。

 

私は専業主婦ではないので、やっぱり専業主婦の辛さを

芯から理解することはできません。

私は目が見えるので、盲目の方の本当の大変さを

100%理解することはできません。

 

でも認知症についての本で読んだように、

 

「同性愛者だとこういうところが大変です。

だからこういう風に配慮してください。」

と言われれば、

 

「そうですか。わかりました。」

 

とできる限り配慮します。

 

でも、やっぱり当事者の方が言い出しっぺになってくれないと、

理解や配慮は進まないんじゃないかなと、思いました。

 

認知症の当事者である方の本を読んで、

共感はできませんが、

どう配慮して欲しいのか頭で理解することができました。

 

何が言いたいかというとつまり、

辛いなら辛いと、社会に向かって当事者が言っていくことが大事だね。

と思ったと、そういうことです。

 

ひとりの問題は社会の問題なので、

みんながみんなにできる限り配慮できるのが

きっと良いのだと思います。

 

干渉しあうこともあるかもしれませんが、

都度調整を重ねるしかないのだと思います。

 

いつになったら父を、孫に会わせてあげられるかな。

 

 

 

孫、だーい好き

認知症

オススメ本

 

↓のバナーをクリックいただけるとブログランキングのポイントが入ります。

応援クリックいただけると喜びます。

にほんブログ村 子育てブログ ワーキングマザー育児へ
にほんブログ村

最後までお読みいただきありがとうございます。

ひとりでできることには限りがある。

Twitterでフォローしよう

RECOMMEND