こんにちは。ワーキングマザー・サバイバルのみゆきです。
夫がまた体調不良で辛そうです。
仕事は休まずに続けられるよう、本人がだましだましやっているようです。
体調不良そのものと、プラスして体調不良を気に病むことによる精神的ストレスで、
元気がなく、しおれています。
病院に行って薬も飲んでいるけど、劇的に改善しない、という状況。
「どうしたらいいかな…」と言うので、
私もいろいろと調べて、
「こうしたら?ああしたら?」
と良いと思われることをアレコレ言って、
それを彼が行動に移せるように励ましたり、叱ったりしていました。
そして先日の夜、彼は彼なりに考えた対処療法をやる、と言い出し、
私はそれは絶対違うと思ったので反論したところ、
その私の反論や意見すること自体がまたストレスである、と言われました。
そう言われると、それ以上もう、何も言うことができませんでした。
頷くことで、会話を終わらせました。
うーん…久々、ショックでした。
助けてほしいと言われたから精いっぱい助けようと思ったけど、
突っぱねられた。
最初はそう感じ、私も『ショボン…』としおれました。
ひと晩寝て、そして落ち着いて考えました。
なぜ私はあんなにショックだったのか。
私の言うことを信じて行動に移してくれれば、きっと彼の症状は変わるんじゃないか、
そう思いました。
そうして実際に彼がそれを実感してくれたら、私の価値が上がり、みんなハッピー。
そんな感じで少し先の未来を描いていたのか。
そしたらその途中で、夫本人から、
『NO!あなたの助けはやっぱりもういりません!
あなたの助け、あなたに価値はやっぱり見出せません』
と言われたような、そんな気になったのかな。
それがわかったところでやっぱりショックですが、
自分自身の中にあった奢りと、自惚れと、傲慢さにも気づきました。
人を助けるって、すごくすごく難しい。
助けてほしいと言われても、それでも難しい。
『病める時も、健やかなる時も』
キリスト教の夫婦の契りの文句ですが、最近よく頭に浮かびます。
『NO』を言われたその夜はもう、
『もう助けてなんかやらない。勝手に病んで勝手に死ねばいい。私は彼を見捨ててやる』
と感情的に思いました。
あ、でも実際は、そこまで死ぬほど病んではいません。
普通に暮らしているし、普通にご飯を食べて仕事に行っています。
でもね、ショックだったので思考が飛躍しました。
「お前はホント、めんどくせーな」
また言われました。
これを言われるとカッと怒りが湧きますが、
とはいえ私の言い方も悪かった。売り言葉に買い言葉。
言葉自体に大きな意味はない。
ストレスに強くなるというのは、ストレスを避けることではなく、ストレスを経験する中で自分自身を積極的に変えていくこと。
恐怖を、勇気に。
脅威を、チャレンジに。
人はストレスでは死なない。
今回私が感じたストレスも、勇気と知恵に変えようと思います。
私にはもしかしたら、夫を助ける力も知恵もないかもしれない。
寄り添うとか支えるとか、そういう健気な言葉は好きではないけども、
「ここか?」と思えるタイミングがあれば、
「これか?」と思えるサポートを試みてみるしかないわけで。
ストレスをなかったことにするのではなく、ストレスを感じている自分を自覚し、
その中に自分のチャンスを見つけること。
チャンスはストレスの中にこそあるということ。
本を読んだのについ忘れていた。
よくよく考えると、いつだって私は【大丈夫】です。
これに気づいたのはいつだったか。
でも【大丈夫】と感じられる基準は人それぞれなので、
彼はきっと私には理解不能なところで【大丈夫】と感じるのでしょう。
あ、ちなみに↑はこの本からの引用です。
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いつも応援いただき、本当にありがとうございます。
本当は不安でたまりません。