この前仙台に会いに行った友人の話なのですが、
彼女は私のように本を読んだだけの【にわか知識】ではなく、
ちゃんとした子育て理論を真剣に学んでいて、
この前とても勉強になる話を教えてもらいました。
私はそれを聞いて、目から大きめの鱗が落ちた感じがしました。
けっこう大きめのやつね。
そして同時に、こう思いました。
『子育ては学問でもあるな。そういう意味で言うと私は、
子育てのことなんてちっとも知らないな。』
今まで割と、子育てに関しては親ができることなんてすごく限られていて、
本人に任せることが大部分、と思っていたのですが、
決してそんなことは無くて、
何をしてあげられるかを私が知らなかっただけなのだな、と。
彼女が何を教えてくれたかというと、
子供に新しい経験をさせてあげる、その効果的な方法。
我が家はもうすぐ、マザー牧場に遊びに行く予定で、
そこでイチゴ狩りをする予定です。
息子らはイチゴがそんなに好きなわけではないんだけど、
採るのが楽しいかな、と思って。初体験だし。
親が子供に新しい経験をさせてあげよう、新しい場所に連れて行ってあげよう、と思うと、
イチゴ狩りならイチゴ狩りに連れて行って、
「はい、コレ、イチゴ狩り。こうやって採るんだよ。美味しかったねー」
連れて行くだけで満足してそれで終わりの場合が多い。
それでは子供の記憶にも残らないし、有意義な初体験とは言えない。
例えばイチゴ狩りなら、行く前にスーパーでイチゴを買って、
一緒に食べて、『どんなふうに生えてくると思う?』と想像させて、
その上でイチゴ狩りへ行って、
『こんな風に地面から茎が生えて、葉っぱがあって、そんでイチゴが生えてくるんだね』
と一緒に実物を観察して採ってみて、食べて、美味しい、その作業に意味がある。
その場で、もしくは帰った後に、イチゴの絵を描かせてあげることでも、
またその学習過程が記憶されて、
【イチゴ狩り】という新しい経験がひとつ、子供の心にくっきりと刻み込まれるのだ、と。
ただ連れて行って、はいおしまい、ではあまり意味がないのだ、と。
いやぁ~、もうね、私はその話を聞いたとき、
とても感動しました。
私、それ、チョーやりたい!やる!と思いました。
実際に、新生児から子供と共に暮らして育てていくと、
子供の成長、学習過程を目の当たりにするわけですが、
いざ何かを教えようと思うと、ぜんぜんうまくできません。
だからだと思うのですが、私は最低限のことだけ教えて、
あとは自力でなんとかしてねー、くらい思っていました。
実際私もそうやって育ったような。
しかしね、【イチゴ狩り】ひとつをとっても
そんな風に丁寧に経験させてもらった子は、
知識というよりも、自分の生きる世界に対する理解が、
早く進むんじゃないかな、と思ったのです。
もちろん自力に任せても、それなりにちゃんとした大人には育つんでしょうが、
自然を含めた世界に対する理解が早く深く進むほど、
その中でどう生きるのか、を考えることに、より時間と労力を使えるし、
より良い選択に辿り着きやすいんじゃないかと。
そういう初体験を体系立ててあげることで、
『考える力』というのが醸成されるんではなかろうか、とか。
世界は広く美しいということとか、
偉大なのは自然なのであるとか、
あなたの可能性は無限大なのであるとか、
フルーツは美味しいのであるとか、
そういうことをできる限り教えてあげて、
彼らの可能性を最大限に延ばして、人生を謳歌して欲しい。
もちろん以前から思っていたことですが、
この【イチゴ狩りへ連れて行く方法】を教えてもらった時、
目の前の霧がパッと晴れたというか、
それまで曖昧だったものが鮮明に見えた気がしました。
そしてこれも思った。
子育てって、私が思っていたよりも
もっともっと楽しいのかもしれない。
もうね、仙台から帰ってすぐイチゴを買いましたよ。
念押しで、マザー牧場前日も。
もっともっと、教えてもらおう。
ちなみにその友人は、彼女です。
またウロコが落ちたら、都度ご報告します。
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