子供らが進級しました。
長男は4歳児クラス、次男は2歳児クラス。
長男のクラスで何人か、他の園や幼稚園へ転園する子がいました。
それを主な理由として、全員召集のクラス会が週末に催されました。
↑私はこのクラス会自体、『必要?』と思った薄情なやつなのですが、
まあ長男が楽しそうだったんで、ヨシとします。
そしてこのクラス会の際、転園する子がみんな、クラスの他の子ひとりひとりに、
ひとつずつの小さなプレゼントを用意していました。
中身はお菓子や、ハンカチ。
「みんなしっかりしてるなぁ~」と思ったと同時に、
「日本だなぁ~、ものすごく日本だなぁ~」と思いました。
アジアの他の国でももしかしたらあるのかもしれませんが、
日本て本当、なにかっていうとすぐに物を贈ります。
年に1回くらい会う、女友達がいます。
付き合いは長く、15年とか?ですね。
年齢はひと回り上なのですが、関係は対等です。
その彼女、会うときには必ず、いくつもプレゼントを持って来てくれます。
私に、子供たちに、と、中には私にしたら高価なプレゼントもあり、
最初は恐縮して、断ったほうが良いのかな、とも思ったのですが、
本人が贈りたいだけのようなので、ひたすら「ありがとう!」と受け取っています。
私はと言えば、誕生日は必ず毎年プレゼントを贈るものの、
それ以外では物はなにもあげません。
アメリカ帰りの姉も、いつも驚いています。
「日本にいると、プレゼントばかりもらう」と。
これについてなのですが、反対も賛成もないのですが、
私は自分からはほとんどあげません。
なぜかというと、私があえて誰かに会うのは、
その人と心を通わせ、共有したいからであって、
物をあげてしまうと、心をあげることが疎かになってしまうからです。
写真を撮ることと似ている気がするのですが、
初めて行った場所などで、きれいな景色を見たとき。
最初に写真に撮ってしまうと、「後でも見れるから」と安心して、
ちゃんと実物を目で見て鑑賞することを怠ってしまうんですよね。
同じ景色でも、写真で見る景色と、実物を実際に見るのとでは、見え方は違うのに。
それと同じで、なにか贈り物をしてしまうと、
贈り物で済ませちゃった感がしてしまうので、
特定の理由がなければ、贈り物はしません。
食べたらおいしかったから、あなたにも食べさせたくて持ってきた。
一緒に飲もうと思ってワイン持ってきた。
とかなら理解できるんですけどね。
そうでもなくて形ばかりの贈り物をされると、
その『日本のしきたり』の型の中に、自分の心を収めるのに
若干手間取ります。
その人との関係次第なのですが、
同じお別れの挨拶なら、物をもらうよりも、
わざわざ声をかけてもらって、言葉と表情で別れを惜しんでくれるほうが、
私はよっぽど嬉しいです。
まして子供同士の別れの場合、
「どーぞ」「ありがとう」とお菓子を渡すよりも、
顔と目を見合って、手を取って、大人には意味不明でも、
彼らなりの会話をさせたほうが、よほど意味があると私は思うのです。
物よりも心が欲しい。
心をくれないような関係なら、物もいらない。
さっぱりと行けば良いものを、会話すらおぼつかない相手にも
形式的に物を贈ることにどれだけの意味があるのか、ちょこっとだけ、
ちょこっとだけですよ。疑問を投げかけてみました。
意味なんてないのだと思います。
暗号のようなもので、同じ社会に一緒に生きる者同士、
うまくやって行きたいことを伝え合うツール、ということなのでしょう。
しかし、暗号ばかりで済ませていると、本質がよくわからないままに終わってしまうのが、
私は嫌なだけです。
アンパンマンの歌詞みたいになってしまいましたが、
今日はこんな感じで。
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最後までお読みいただきありがとうございます。
ひとりでできることには限りがある。