おはようございます。ワーキングマザー・サバイバルのみゆきです。
5歳と3歳の息子ふたりを育てながら、共働きのお金、子育て、仕事などについて書いています。
約6年前に長男を妊娠~出産して、
私はすごく驚きました。
こんな大変なこと、いままでみんなやっていたのか
って。
自分の母親も、それ以外のすべての母親が、
人類が続く限り脈々と、
何百万、何億という母親が、こんなに大変な思いをして産み、育てていたのか、って。
私が長男を生んだのは、35歳でした。
ひと通りの社会経験を積んできて、正直舐め腐っていました。
世の中、なんとなくわかった気でいました。
自分には『想像力』があると思っていました。
相手の立場に立って考えることができると思っていました。
出産して、赤子育てに苦しんで、
気づきました。
世の中には、私の知らないこと、まだまだたくさんあるって。
そんな簡単に、わかった気になってはいけないって。
長男の新生児期に徹底的にボコボコにされた私。
しばし奮闘した後に復活したころにはもう、
わからないことがあって当然、
と思うようになっていました。
子育ても6年になり、
慣れたようで、でもそれは、あくまで長男という子に慣れたまで。
まだまだあるよ、子育ての大変さ。
と毎日突き付けられます。
次男(3)がなかなかの子です。(私調べ)
とにかく、人が何を言おうとも、
『したいことがしたい。だからする。』
という子、なのか。
どうしても長男と比べてしまうことがやめられないんですが、
例えばお風呂のボディソープやシャンプー。
洗うためではなく、泡で遊ぶために使ったらダメ、と教えます。
遊ぶなら、体を洗った後の泡で遊びなさいって。
長男は、そうですね…3回も言えば、もうやらなくなります。
一方次男、30回は言ったかな。(汗)
理由も説明して、時に強い口調で言ってしまい反省したり、
いろんな言い方を試して、でもそれでも、
ふと私や夫の目を盗んで、遊んでいます。
昨夜も、夫が踏み込んだところで慌てて泡を流し、証拠隠滅を図ろうとしたのが失敗し、
夫が長々と説明しているのが聞こえました。
また別の時。
洗濯機の後ろって、どうしても狭いスペースが空いてしまいません?
そこに靴下なんかが入ってしまうと、とれない。
そこへ、次男は、なんと、わざと、
猫のオモチャなんかの、すごく小さなものを、
制止を振り切って、
投げ入れる・・・(このクッソガ・・・)
これももう、そうだな…5回くらいやられました。
いろんな言い方で、やめて欲しいと伝えました。
でもいまのところ、まだやめられません。
「なんか楽しそう。」
その衝動が強い子なんでしょうか。
後先考えられないのか。
ま、これも、成長に伴っていろいろと展開があると思うんですが。
何が言いたいかって、
子育て然り、
それ以外の大変なこと然り、
自分の想像の及ばないことは、いつまで経ってもたくさんあるのだということ。
例えば『電車内で騒いでしまう子供』問題。
特に身近に子供がいない人にとっては、時に騒音となり、
でも本来は、『子供も含めて公共の場』であり、
でもだったら親はもっと『申し訳なさそう』にしないと、とか、
『静かにさせる努力』とか。
その子によって、その親によって、事情があり、
その時の状態も違い、
回りが見るだけでは、
なんとも判断できないものなんですよね。
子供を持つことで、
私は自分の想像力の限界と、そのキャパの狭さを知り、
そしてその『大変さ』は、
『主観がすべて』であることを知りました。
その人が、『大変だ』と言えば、
それは大変なことなのだと、認める努力ができるようになりました。
私にしたら『大変とは思えないこと』にも、
私には知る由もないいろんな事情が絡まった上での『大変』であって、
たとえそれをすべて知っていたとしても、
それでもその人が『大変だ』と言うなら、
それがすべてなんだと。
それを認め、受け入れることが、できるようになりました。
いや、正確には、まだできるようにはなっていませんが、
その精神は、なんとなくわかるようになったのかな。
手を焼く次男も、ふと見ると、
その小さな顔、
小さな鼻、
みずみずしい口、
生意気な口調、
「は~・・・かわいい・・・」
と思ってほっぺをハムハムしようと近づくと、
よだれでベタベタの手でパチン!と殴られたりします。
見るとニヤニヤ笑っています。
いやいやまだまだ、世界は広いわ。
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いつも応援いただき、本当にありがとうございます。
本当は不安でたまりません。