おはようございます。みゆきです。
8歳と6歳の息子ふたりを育てています。
「奥義!玄関の外に置くの技!」
8歳長男が言いました。
いやもう、最初言葉が出なかった。
『奥義』なんて曖昧な言葉を
こんなにも上手に使うなんて、
人の脳ってすごいな~って。
まだ生まれて8年しか経ってないのに、
見た映像、文章から、言葉を覚え、
アレンジして、自分の言葉として使っていくって、
すごいね~
ホント人間てすごい。
我が家の玄関はちょっと狭いんですよ。
マンションの玄関てもともと狭いですが
更に荷物とかも置いてるし、狭いんです。
そんな狭い場所で、小学生ふたりがランドセル背負って
手提げぶら下げて、
同時に靴を履いて行こうとすると、
もう喧嘩しか起こらないんですよ。
どっちが先だと押し合って、倒れて、次男が泣いて、
置いて行かれてまた泣く、みたいな。
だからこの前教えたんです。
荷物を全部整えて、玄関に置いておくといいよ。
家を出るちょっと前なら、
玄関の外に置いておくと更に身軽に出れるかもね。
その、ランドセルなどを5分前くらいに玄関の外に置いておく、
というのが長男はいたく気に入ったらしく、
それ以来毎朝やっているんですが、
そのことを自分でこう言ったんですよ。
「奥義!玄関の外に置いておく!」
奥義という言葉の使い方も正しいし、
その後に続く技の名前の置き方も正しいし、
教えた覚えもないのにすごいな~って。
ナントカ新聞のCMじゃないですが、
人という生き物は、
やっぱり言葉でしか考えられないことがあるんですよね。
長男の言葉の進化を見て、
また言葉について考えました。
もちろん多分、それは言葉だけじゃないと思うんです。
私はたまたま言葉が好きで、言葉に頼りがちな人だけど、
ツールはきっとほかにもあると思います。
たまたま夫と見ていたドキュメンタリー。
人付き合いが上手じゃない若者がいて、
見ていてみんながわかる、若者特有の葛藤。
夫が言いました。
「なんでこの人はこんなにこじらせてんのかな?」
「ありたい自分と実際の自分とのギャップが苦しいんじゃないかな。
尊敬されたり『すごーい』って言われる自分でありたいけど、
実際はそうじゃないことが苦しいっていう、
若者特有の心の状態。」
「へ~!なるほど~!」
私にとってこの『若者特有の自分探し的苦しさ』は、
30歳くらいで気づいたことだったんです。
『気づいた』とはつまり、言葉で説明することができたという状態、
なのかな。
あの時の自分の所在なさというか、
常に『ここじゃないどこか』を探していた焦りとか、
そういうのを言葉に落とし込んで納得して、
そうすることでその問題に向き合うことができる、
というのが私の方法なんです。
言葉にしたからって解決なんてしないけど、
なんで苦しいのか、
その理由がわかれば半分くらいは解決した気になる、
というところがまた言葉頼みの人間ぽいです。
我ながらいつも言葉頼みなんですが、
私にとってはこれが唯一最強の方法なので、
子供たちも身に着けてくれたらいいな~と、
長男の『奥義』を聞いて思ったんです。
どう感じていてどうしたいのか。
何が欲しいのか。
スルッと言葉にできればきっと少し生きやすいんじゃないかって。
暑い中ランドセル背負って、
ふたりで学校へ行きました。
奥義を覚えてから、水筒を忘れることもなくなりました。
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いつも応援いただき、本当にありがとうございます。
本当は不安でたまりません。