『卒対』も『PTA』もやっぱりなんかおかしい。

 

おはようございます。みゆきです。

8歳と5歳の息子ふたりを育てています。

 

こんな時節ですが、今年次男は卒園です。

そこで来るのが『卒対』。

 

長男の時からなんかモヤモヤしてたんです。

 

『これ、なんでモヤモヤするんだろう。』

ともずっと思っていて。

改めて考えてみました。

 

そして卒対はPTAにも通ずるものがあると思ったので、

試しに一緒に語ってみようかなと。

 

 

やはり私のモヤモヤポイントはこれかな。

 

『ボランティア』という名と、その『強制力』のアンバランス。

 

例えば卒対。

正直個人的には、アルバムも謝恩会も記念品も、

なきゃないでいいのではと思います。

でも欲しい人、やりたい人がいるのは理解できます。

 

だから『ボランティア』なのだと思うんですが、

そこには『参加しない』という選択肢が事実上ありません。

なぜって子供に疎外感を抱かせるなんてかわいそうでできないから。

 

それが『ボランティア』の『任意参加』だと言うなら、

参加しない人、子供への配慮をしてもいいかのしれないなと思うんです。

 

子供に『卒園アルバム』の概念はありませんが、

目の前でみんながもらっているものを自分だけもらえない、

みんなが話しているものを自分だけ持っていない、

という概念は『疎外感』として感じます。

 

 

例えば保育園で仲のいい3家族でキャンプに行くとしたら、

 

「保育園ではその話しちゃダメだよ。

一緒に行かないお友達がかわいそうでしょ。」

 

そう子供に言い聞かせます。

 

 

でも卒園アルバムは子供たち全員がいる前で配られることもあるわけです。

そんなの自分の子がかわいそうすぎて、

どれほど参加したくなくても、

参加せざるを得ない人、いままでたくさんいたのではと。

 

とはいえほとんどの人が、

『積極的に嫌』とまでは行かないから、

一度だけのことだしと少し我慢して参加してきたのだと思います。

 

そしてその小さな我慢が、

どんどんと脈々と受け継がれているというわけです。

 

もちろんね、そういうのはむしろ楽しんでしまうに限る、

というのも真実です。

でもやっぱり世の中には、そういうのが好きな人とそうでもない人がいるのも事実です。

 

小ロットで作る卒園アルバムや記念品。

長男の時にはひとり1万円かかりました。

 

たまたま私はその1万円は問題なく負担できる金額でしたが、

そうでもない人、ご家庭だってあったかもしれません。

でもそんなの言い出せるわけないよなとも。

 

でもそれが必要な業務なら、

もうそれは『ボランティア』ではなく

誰かの仕事にすべきじゃない?

というのがPTAなんじゃないかと思うんですよ。

 

PTAは私もまだ関わっていないので知らないこともたくさんあると思いますが、

『ボランティア』っぽいことから、

『それはもう誰かの仕事にすべきでは?』のようなことまで

あるように思えます。

 

 

『子供たちのより良い学校環境のために

ご理解とご協力をお願いします。』

 

そう書かれているのを見たのですが、

『それならちゃんとお金払って誰かにやってもらおうよ。』

と思ってしまうのですが、

なんか違うのかな。

 

 

保育園や学校関連のこと、

親の『ボランティア』が最適な時も確かにあるので、

それはそれで仕方ない部分もあるとは思います。

 

でもちょっと、どこかで整理してもいいんじゃないかな、

とも思う今日この頃。

 

 

PTAはでも最近、だんだんと洗練されてきたという噂を聞きます。

 

役員を引き受けたら報酬が出るとか、

役員を断ったらお金を払うとか。

それのほうが確かに納得がいくというもの。

参加しない人も本当に増えているとも聞きます。

 

時代に合わせて変わっていきやすいものと、

そうでないものがあるんですよね。

 

 

子供は小学生

PTA役員

卒園文集・卒園アルバム

 

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