おはようございます。ワーキングマザー・サバイバルのみゆきです。
共働きの家事育児分担という難題、5年以上かかってやっと、ここまできました。
夫担当:
- 週末のご飯作り(朝食以外/献立、時間などすべての管理)
- 毎晩の子供らの歯磨きの仕上げ
- 毎朝の子供らの着替え手伝い
- 自分の仕事着だけの洗濯
- 風呂掃除
- 家電メンテ(洗濯機、ルンバなど)
- 保育園の送り
私担当:
- 平日のご飯作り
- 食料品買い出し・管理
- 毎晩の子供らの寝かしつけ
- 洗濯
- 食器洗い(食洗器)
- ごみ捨て
- 保育園のお迎え&保育園の支度
いや、何って、週末のご飯づくりが大きいです。
子供らをお風呂に入れて、その後ご飯ができるまでゴロゴロしたり、テレビ見たりして待ってればいいって、極楽レベルにラクチンです。
「できたよー」
の声を待って、ご飯を運ぶのを手伝って、食卓に着いたらもう食べられるって、サイコーです。
始めた当初の夫は、うどんを茹でて、水を切って盛り付ける、という経験値がなさ過ぎててこずっていましたが、慣れれば誰にだってできるので、グングン腕を上げています。
仕事の波にもよるんでしょうが、毎晩20時には帰ってきます。
しかし、 共働き の 家事育児 分担、我が家のここまでの道のりの険しさは、みなさんもよくご存じだと思います。
なんせ3年前は、これでした。
そこからは私のほうも、自分がどうしてほしいのか、何が不満なのか、を解明したり、
それを夫に理解してもらう方法を探したり、というところにてこずりましたが、
上野千鶴子氏のこの言葉に出会い、膝を打ち、そして覚悟を決めて夫に『向き合いました』。
夫は言って聞かせるのではなく、『向き合わせる』しかない。
『向き合わせる』というのは、コーナー際へ追い詰めて、 逃げも隠れもできない状態にして、匕首(短刀)を突きつけるということです。男は鈍感な生き物だから、そこまでしないとわからない。
我ながら追い詰めてきたと思います。
私も必死でした。差し違える覚悟でした。
しかし覚悟を決めて『向き合わせると』本当に、夫がやっと私の目をちゃんと見て、話を聞いてくれて、私の言ったことについて考えてくれるようになりました。
そこまでが長かったぁぁ・・・・!!!
そしていま、いまだってたまに彼はやらかします。
それはお互い様です。私だって同じようにやらかすようなことを、彼もやらかします。
でもいまは、謝罪や和解がある前提です。
いまにして思うと、おそらく功を奏したのは、
名付けて、『鬼の北風と木漏れ日の太陽』作戦。
旅人のコートを脱がす、という力試しをしていた『北風』と『太陽』のイソップ寓話です。
『北風』はぴゅーぴゅーとコートを吹き飛ばそうと風を吹かせるけども、旅人はコートを強く押さえるばかり。
『太陽』はぽかぽかと旅人を照らし、暑くなった旅人はコートを自ら脱いだんですよね。
そこから派生して、『厳しい対応』VS. 『寛容的な対応』のようなたとえ話としてよく引用されるようになりました。
そして私の作戦は、『鬼の北風と木漏れ日の太陽』。
私が思うに、ですよ。
どの夫にも、どの妻にも当てはまるわけではなく、あくまで我が家の場合の話です。
うちの夫は、冷え性です。イヤ、コレホントノハナシ
脱いでほしかったコートを着ていましたが、太陽熱で温めたくらいでは、暑いとは感じないようでした。
そんな彼を『暑い』とまで感じさせる強烈な熱を、私も持ち合わせていませんでした。
そして風が吹こうが、太陽が出ようが、彼は意に介しませんでした。
「で?」
みたいな。
だから『鬼の北風』をゴーゴー吹かせて、
私がここにいること、
彼の人生に大きな影響を与えうる人物であること、
そして私は不満を抱えているということ、
それが彼のせいであるということ、
それを解決しないと彼にとっても不利益があるということを、
まずは彼に、気づき、認めさせる必要がありました。
『鬼の北風』に吹かれた彼はそこで初めてそれらに気づき、認め、対処をし始めてくれました。
「わかった、わかったから、その北風を止めてくれ」みたいな。
根が素直な人なので、そこからは早くて、このブログの力も借りて、着々と変化を見せくれてました。
太陽が照る前に、コートを脱ぎ始めてくれました。
だから私も安心して、太陽になれました。
でも、ギラギラ太陽って夫婦においてはなんというか暑苦しい?
だから木漏れ日くらいがちょうどいいのかな、と私は思っています。
これもお互い様です。
相手を変えることは不可能だし無益。
変えられるのは自分だけ。
そんな誰が言ったかよくわからない神話にしばらく足を取られていましたが、
相討ち覚悟で全力で相手を変えようとしたら、その過程で自分も変わったように思います。
まだまだ夫婦としての先は途方もなく長いですが、ひと山もふた山も越えた感はあるので、作戦名を授けてみました。
渦中のときには、作戦も何も必死でしたが、共働きの家事育児という難題にガッツリと取り組んだ自覚はゴリッとあります。
どうでもいいですが、『木漏れ日』って美しい言葉です。
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最後までお読みいただきありがとうございます。
ひとりでできることには限りがある。